2018年9月に亡くなった俳優の樹木希林さん、自分の病気を全身がんだと率直に語る姿が印象的でした。
樹木希林さんの治療法や病院の場所や、最後を迎えた時のエピソードなど調べてみましょう。
- 樹木希林の全身がんの治療法
- 樹木希林の病院はどこ?
- 樹木希林、最期のエピソード
これらについてみていきましょう。
樹木希林の全身がんの治療法
樹木希林さんは、放射線治療を行っていました。
2018年の朝日新聞デジタルで、がんと付き合って13年、30か所以上治療していることを告白しています。
体のあちこちに転移したので、最近は年1回、鹿児島の病院へ放射線治療を受けに行ってました。
1日たった10分の照射。でも1カ月かかるのよ。
人生を見つめ直す良い機会になったけれど、飽きてくるでしょ。
「先生、1週間で仕上げてもらえませんか。少々焦げてもいいですから」って言ったんだけど。
でも、闘病しているという気持ちは全然なかったわね。
抗がん剤治療で苦しむ患者さんを何人も見ました。
でも、私の治療法だと、生活の質が全く落ちなかった。
だから、とても満足しています。
引用:https://craft.asahi.com/article/2020/07/kikikirin1/
樹木希林さんが行っていたのは、植松稔氏はの『四次元ピンポイント照射』と呼ばれる放射線治療の一種です。
元々、がんの病巣に縦、横、斜めの角度から放射線を当てる『三次元照射』という手法があります。
ところが患者さんの呼吸などの体の動きによって、腫瘍の位置も変化するのです。
それを加味したうえで、放射線を当てるというのが、四次元ピンポイント照射なのです。
引用:https://gendai.media/articles/-/66184
放射線をピンポイントでがん細胞に当てることができるため、治療の効果は高く、副作用が抑えられるといいます。
副作用が抑えられるということが、生活の質が落ちないということにつながっているのですね。
この医療は保険のきかない自由診療となるため、回数や期間にによって変わりますが、通常で150万~250万円で、上限は500万円にもなるとうことです。
樹木希林さんは2007年頃から通い始め、2009年には転移が見つかって全身がん状態になりましたが、通い続けました。
2010年からは長年の友人である大女優加藤治子さんとともに治療を続けていたそうです。
加藤治子さんは、2010年87歳の時、乳がんと診断され、余命5カ月と宣告されました。
しかし、樹木希林さんとの闘病生活の効果か、加藤治子さん5年後の2015年に92歳まで生き、最後は心不全で亡くなりました。
樹木希林さんと加藤治子さんには高い効果があったと思われる治療ですが、その効果に疑問を呈する医療関係者もいます。
他の医療機関と比べてどこが優れているのかがわからないといいます。
植松稔氏が、論文などを書いていないこともあり、客観的な根拠がないのです。
樹木希林さんはそのこともよくわかっていて、自分たちは良くなったけど、それは私たちがたまたま効いただけで、万能薬ではないと話しています。
自分の病としっかり向き合っているところが素晴らしいですね。
樹木希林の病院はどこ?
樹木希林さんが通っていた病院は、鹿児島市にある「UMSオンコロジークリニック」です。
鹿児島空港から車で約40分、県内一の繁華街の「天文館」から徒歩数分の場所にあります。
病院といっても6階建てのビルで、看板はなく、ビルの4階受付の入り口にクリニックの名前が控えめに書かれているだけです。
入院施設はないため、提携している病院に入院するか、ホテルやウィークリーマンションに宿泊して10日間から1か月治療を受けます。
樹木希林さんは、近くの老舗ホテルに泊まって治療を続けていました。
放射線の照射は、わずか数十秒間であり、前後の準備等の時間を含めても、20分から30分で終わってしまいます。
それ以外の時間には、映画を観たり、食事を楽しんでいたりしたといいます。
樹木希林の最期のエピソード
樹木希林さんは、2018年9月15日午前2時45分自宅で亡くなりました。
8月13日に左大腿骨を骨折し、入院中に一時危篤状態に陥っていたと、長女内田也哉子さんの夫の本木雅弘さんが、8月30日に明かしていました。
「細い糸1本でやっとつながってる。声一言もでないの。しぶとい困った婆婆です」という樹木希林さん直筆の文書を披露しました。
樹木希林さんは、亡くなる3日前に、「もう家に帰ろうと思う」と言い、主治医もこのタイミングを逃したらもう帰れないだろうという言葉で、9月14日に退院して家に帰りました。
樹木希林さんが自分の最期感じたようです。
常々「自分の家で、日常の中で死んでいきたい」と言っていた思いをかなえてあげたいと、レンタルベッド、呼吸器、自宅でついてくれる看護師などを手配して、実現しました。
その夜、「ありがとう」と3回続けて言われ「そんなこと言ったら、終わっちゃうみたいだから止めてよ」と握手をして、看護師さんに任せて、2階に上がった内田也哉子さんでした。
しかし、その後に容体が急変、夫の内田裕也さんは電話で声をかけ、家族に見守られて息を引き取りました。
夫の「啓子(樹木希林さんの本名)、しっかりしろ」という声を聞いたら、握っていた手を強く握り返したと、孫のUTA(モデル)さんが言っていました。
内田也哉子さんは、「痛みもなく、眠るようにお別れができた。母らしい幕の閉じ方だなと思いました」話しています。
帰宅からわずか12時間だったといいますが、とてもいい時間でしたね。
まとめ
樹木希林さんのがんの治療、最期についてまとめました。
- 樹木希林さんは、長年、鹿児島の病院で、四次元ピンポイント照射という放射線治療を行っていました。
- 効果は疑問視する医療関係者もいましたが、樹木希林さんにはあっていたようです。
- 2018年9月に、以前から話していたとおり、自宅で、家族に囲まれて息を引き取りました。
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