1970年3月31日に赤軍派を名乗る9人が「日航機ハイジャック事件」を起こしました。
この事件は、日本初のハイジャック事件として知られています。
日航機ハイジャック事件を起こした犯人グループは北朝鮮に亡命後、いったいどうなったのでしょうか?
本記事では、犯人達のリーダーである田宮高麿の現在について解説します。
さらに主犯の田宮高麿以外の犯人メンバーの素性も合わせて解説していきます。
- 日航機ハイジャック事件の概要
- 主犯の田宮高麿の現在について
- 犯人グループの素性や現在について
日航機ハイジャック事件の概要
日航機ハイジャック事件ってどんな事件だったの?
日航機ハイジャック事件は、日本赤軍のテロリスト9人が北朝鮮に亡命するために起こしたハイジャック事件です。
よど号(JA8315号機)は、乗員・乗客129名の人質を乗せて北朝鮮に向かうことに。
燃料の給油をするため、福岡空港に着陸します。
その後、韓国中央情報部(KCIA)が北朝鮮を装い、金浦国際空港によど号を誘導させ、着陸させました。
しかし、この工作が犯人グループにバレてしまったのです。
犯人グループは、すぐに飛行機を離陸させ、北朝鮮の美林飛行場に到着し亡命しました。
この事件では乗員・乗客全員が無事でしたが、日本初のハイジャック事件として、日本中を恐怖に陥れた歴史的事件です。
犯人グループには逃げられたけど、乗員・乗客は全員無事だったんだね!
主犯・田宮高麿の現在は?
- 名前:田宮高麿(たみや たかまろ)
- 生年月日:1943年1月29日
- 出身:岩手県
- 学歴:大阪府立四條畷高等学校卒業
日航機ハイジャック事件の主犯である田宮高麿は死亡しているようです。
田宮高麿は、北朝鮮に亡命後も現地で活動を続けていました。
しかし、1995年11月30日に田宮高麿は、平壌で死亡したとされています。
田宮高麿の死因は、心臓麻痺と発表されています。
【日航機ハイジャック事件】犯人メンバーの素性!
日航機ハイジャック事件を起こした犯人メンバーは、その後どうなったの?
ここからは、日航機ハイジャック事件を起こしたメンバーの素性や現在について解説していきます。
それでは、さっそく見ていきましょう!
吉田金太郎の現在は死亡している
- 名前:吉田金太郎(よしだ きんたろう)
- 生年月日:1950年
- 出身:不明
- 学歴:京都市立堀川高等学校卒業
犯人メンバーの1人である吉田金太郎は、1985年8月に死亡したようです。
彼は、高校生の頃から新左翼事務所に通い、手伝いをしていました。
高校卒業後は、共産主義者同盟であるブント系反戦青年委員会に参加。
20歳の時に日航機ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命しています。
その後、1985年9月25日の読売新聞から、吉田金太郎が死亡したとされる内容の記事が掲載されました。
そのため、吉田金太郎は死亡した可能性が高いと言えるでしょう。
岡本武の現在は死亡している
- 名前:岡本武(おかもと たけし)
- 出身:熊本
- 生年月日:1945年7月17日
- 学歴:熊本県立熊本高等学校卒業/京都大学農学部中退。
岡本武は、1988年に死亡したと北朝鮮から発表されました。
彼は、1968年に起きた東大安田講堂事件にも参加していました。
その2年後に日航機ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。
北朝鮮を取材しているジャーナリストによると、岡本武は北朝鮮を脱出しようとしていました。
しかし、捕まってしまい、強制収容所に送られて死亡したとのこと。
柴田泰弘の現在は死亡している
- 名前:柴田泰弘(しばた やすひろ)
- 出身:不明
- 生年月日:1953年
- 学歴:神戸市立須磨高等学校に入学
柴田泰弘は、2011年6月23日に大阪市の自宅アパートで病死しています。
彼は、学生の頃からチュチェ研究同好会と赤軍派に参加。
そして、1年後に日航機ハイジャック事件を起こし、16歳で北朝鮮に亡命しました。
1977年5月4日に八尾恵と結婚しています。
1985年には、日本に極秘帰国していましたが、警察に逮捕されてしまいます。
出所後は、日本赤軍の仲間と距離を置き、1人で大阪に暮らしていたようです。
のちに自宅アパートで病死しているところが発見されました。
田中義三の現在は死亡している
- 名前:田中義三(たなか よしみ)
- 出身:青森県
- 生年月日:1948年7月23日
- 学歴:熊本県立済々黌高等学校卒業
田中義三は、2007年1月1日に肝臓癌で死亡しています。
彼は、亡命から7年後の1977年5月5日に水谷協子と結婚。
その後、タイのパタヤでドル札偽造容疑で起訴されました。
田中義三は、2000年6月に日本に引き渡され、懲役12年の判決が確定します。
2007年1月1日に肝臓癌で亡くなりました。
小西隆裕の現在は?
- 名前:小西隆裕(こにし たかひろ)
- 出身:不明
- 生年月日:1944年7月28日
- 学歴:東京都立小石川高等学校/東京大学理科三類に進学
現在、小西隆裕は平壌(ピョンヤン)に在住しているようです。
北朝鮮に亡命してから6年後の1976年に日航機ハイジャック事件前から恋人だった女性が北朝鮮に渡り、そのまま結婚しました。
小西隆裕は、現在も国際手配中です。
また、彼には長女と次女の2人の子供がいます。
2001年5月に長女(当時23歳)が日本に帰国しており、次女(当時24歳)は2002年9月に帰国していることが判明。
次女と一緒に小西隆裕の奥さんも帰国していました。
彼女は、旅券法違反で逮捕されてしまい、懲役1年6ヶ月・執行猶予4年となりました。
魚本公博の現在は?
- 名前:魚本公博(うおもと きみひろ)
- 出身:大分県
- 生年月日:1948年3月19日
- 学歴:不明
魚本公博は、現在も平壌に在住しているようです。
彼は、もともと安部公博という名前でした。
しかし、日航機ハイジャック事件から6年後の1976年に大阪府出身の魚本民子と結婚したことで、魚本とという苗字になったのです。
魚本公博には、3人の子供がおり、2002年9月と2004年1月に長男(当時23歳)と長女(当時21歳)、次男(当時19歳)が帰国しています。
さらに妻である魚本民子も2004年に帰国し、旅券法違反で逮捕されました。
その後、懲役1年6ヶ月・執行猶予4年が確定。
若林盛亮の現在は?
- 名前:若林盛亮(わかばやし もりあき)
- 出身:滋賀県
- 生年月日:1947年2月26日
- 学歴:滋賀県立膳所高等学校/同志社大学経済学部入学
若林盛亮は、現在も平壌に在住しています。
日航機ハイジャック事件から6年後の1976年に若林佐喜子と結婚。
2020年の産経新聞の電話取材に応じています。
その電話取材で若林盛亮は、「ハイジャックを含め赤軍派の戦いは間違っていた」と語っていました。
赤木志郎の現在は?
- 名前:赤木志郎(あかぎ しろう)
- 出身:不明
- 生年月日:1947年11月4日
- 学歴:大阪市立大学入学
赤木志郎は、平壌に在住しているようです。
彼は、日航機ハイジャック事件から6年後の1976年に結婚しています。
現在も国際指名手配中です。
赤木志郎には1人の子供がおり、2002年9月に長女が帰国しています。
赤木志郎の奥さんは、2001年9月に帰国し、旅券法違反で逮捕されました。
まとめ
本記事では、犯人のリーダーである田宮高麿の現在や日航機ハイジャック事件の犯人メンバーの素性を解説しました。
以下が本記事のまとめになります。
- 日航機ハイジャック事件は、日本赤軍のテロリスト9人が北朝鮮に亡命するために起こしたハイジャック事件だった。
- 日航機ハイジャック事件の主犯である田宮高麿は死亡していた。
- 吉田金太郎は、1985年8月に死亡していた。
- 岡本武は、1988年に北朝鮮を脱出しようとしたが、捕まり死亡していた。
- 柴田泰弘は、2011年6月23日に大阪市の自宅アパートの布団で病死していた。
- 田中義三は、2007年1月1日に肝臓癌で死亡していた。
- 現在、小西隆裕は平壌(ピョンヤン)に在住している。
- 魚本公博は、現在も平壌に在住している。
- 若林盛亮は、現在も平壌に在住している。
- 赤木志郎は、平壌に在住している。
コメント