2024年3月13日の「何だコレ!?ミステリー」で、裁判で『悪魔の申し子』と言われた詐欺師で5人連続殺人犯の西口彰が取り上げられます。
この西口彰の子供は2人いました。妻とは一度離婚し、再び結婚。愛人が複数人いたと言われています。
その愛人たちの面倒を見るためにお金が必要で、詐欺・窃盗・殺人を起こしていました。
こんな人を家族にもった妻や子供が現在どうしてるのか気になりますよね。
そこで今回は西口彰の妻や子供の現在や彼の生い立ちについてまとめます。
- 西口彰はどんな人?
- 西口彰の家族は?
- 西口彰の生い立ちは?
それでは、西口彰について見ていきましょう。
西口彰はどんな人物だったのか?
生没:1925年12月14日(大阪)〜1970年12月11日(福岡)(44歳没)
殺人を起こした時期:1963年10月18日〜1964年1月3日
起こした事件:詐欺、窃盗など4件、殺人5件
判決:死刑
西口彰は中学中退後、詐欺や窃盗を起こし少年院や刑務所に送られています。
その後も、刑務所から出てきては犯罪を繰り返し、また刑務所に送られるということを繰り返していました。
そして37歳の時(1963年10月18日)に殺人を起こし、逮捕される1964年1月3日までの短い間に5人を殺害しました。
逮捕後は、逮捕されるきっかけとなった被害者一家に救われて、控訴を取り下げボランティアで点字翻訳に励みました。
44歳に死刑になるまでには改心し、孫の顔を見て涙を流したという話も残っています。
西口彰の妻や子供はどうなった?
- 妻(98歳前後:1926年か1927年生まれ)
- 長男(77歳:1947年生まれ)
- 長女(73歳~74歳:1950か1951年生まれ)
西口彰の家族は、妻と2人の子供がいました。
1番目は男の子、2番目は女の子です。
西口は1945年に大阪で進駐軍の軍政部通訳養成所に入り英語を学びました。
翌年福岡に戻り1歳年下の女性と結婚しています。
この時、西口彰は20歳でした。
西口彰と子供の関係
西口彰が21歳の時に長男が誕生します。
西口は子供がいるにも関わらずあまり時間を共有していなかったそうです。
- 愛人宅へ遊びに行く
- 仕事と言って外出する
- 刑務所に入っていた
このような状況が続いたため、子供たちはもの後頃付く時には父親の顔をよく覚えてなかったそうです!
父親の刑期中に家族はどうしてた?
西口彰が刑務所にいる時に、家族は大分県別府の西口の両親が経営する温泉旅館に世話になっていた時期もあったそうです。
そして、西口が殺人で逮捕された時には長男は高校生という多感な時期で、父親の犯罪に影響されて長男はかなり素行が悪くなり、ぐれていた時期もあったとされています。
しかし、当時の西口彰は刑務所から長男に対して手紙を20通以上も送っいたそうです。
内容は「自分のようになるな」と諭した文章だったとされています!
西口彰の妻や子供を助けたのは?
西口彰の妻や子供を支えたのは、逮捕のきっかけとなった古川一家にからの援助だったそうです。
1969年に長男は西口が改心したことを知り、自分の子供を連れて福岡拘置所に面会に訪れました。
息子と娘のその後は?
西口彰の娘さんのその後については判明していません。また、息子さんは今年(2024年)77歳になり、娘さんも73、74歳になります。
奥さんとは西口が刑務所に入ることを繰り返すため一度離婚しますが、クリスチャンであることから周囲に説得され、また再婚しました。
そのため死刑になった後は、遺体は家族が引き取って埋葬したそうです。
西口彰の生い立ちを徹底解説
西口彰は、1925年12月14日に大阪で生まれました。その時両親は、長崎県五島列島から大阪に出稼ぎに来ていました。
西口が3歳になる頃まで大阪で働き、その貯めた資金を持って故郷へ戻ります。
そこでアジやサバの船を購入し、網元として成功しました。
西口彰は裕福だった
西口が小学校を卒業する頃には福岡県内に果樹園、大分県別府市には温泉旅館を購入し、裕福な暮らしを送っていました。
両親は隠れキリシタンの風習があった長崎県五島列島の出身だったため、クリスチャンで、西口もクリスチャンの戒律に沿った教育を受けて育ちました。
西口彰が道を踏み外した原因
西口彰は全寮制の福岡にあるミッションスクールの中学に入り、厳しく躾けられます。
しかし、戒律が厳しすぎて、西口は3年生の2学期には中退してしまいます。
その後は家に戻らず詐欺や窃盗を繰り返し、何度も少年院や刑務所に送られています。
両親は真面目に働いて家族が裕福に暮らせるようにまでなったのに、非常に残念な結果になってしまいました。
西口が殺人で逮捕されてからは両親の温泉旅館も廃業せざるを得なくなり、残された家族は大変な目にあったようです。
後に【西口彰事件】と言われるこの事件の内容はコチラ
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まとめ
戦後最悪の連続殺人鬼と言われ悪魔の申し子とまで言われた西口彰の家族についてまとめました。
- 西口彰は裕福な環境でクリスチャンとして育てられた。
- 中学から全寮制のミッションスクールに入るが、戒律の厳しさに耐えきれず中学3年の2学期で中退する。
- その後は詐欺・窃盗を繰り返し、少年院や刑務所を何度も出入りした。
- 殺人は2ヶ月半の間に5人を殺している。
- 西口の息子はグレかけたが、周囲に助けられ立ち直り、結婚して孫を西口に見せに拘置所を訪れている。
- 西口彰は死刑になり、遺体は家族が引き取った。
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