2024年3月13日の「何だコレ!?ミステリー」で、西口彰事件が取り上げられます。
西口は2ヶ月半の間に5人を殺害した連続殺人犯で、「戦後最悪の連続殺人鬼」と言われています。
西口彰事件の動機や死刑判決で残した最後の言葉、そして、西口彰を犯人と見破った少女について徹底解説します。
- 西口彰事件とは?
- 【西口彰事件】逮捕のきっかけとなった少女
- 【西口彰事件】犯人の動機は?
- 【西口彰事件】西口彰の「最後の言葉」
ここでは西口彰事件についてまとめます。
それでは事件を詳しく見ていきましょう。
西口彰事件とは?
中学を3年で中退した西口彰は、その後、詐欺・窃盗を繰り返し、何度も刑務所に懲役刑を受けていました。
しかしついに殺人を犯します。そして続け様に3件の殺害事件を起こし、5人を殺しているのです。
それぞれの事件を詳しく見ていきましょう。
第一の殺人
1963年10月18日、福岡県京都郡にある苅田駅の横の山道でその辺りの集金を行っていた村田幾男さん(58歳)が殺されており、当時集金していた現金27万円がなくなっていました。
そこから2km離れたところで、村田さんの乗っていた現金輸送車の運転手の森五郎さん(38歳)が殺されているのも発見されました。
村田さんが殺されるところを森さんが見たため、二人とも殺したのです。その時、目撃情報から近所に住む西口彰が容疑者として浮かびました。
すでに西口彰は詐欺・窃盗で前科4犯でした。西口は全国に指名手配されます。
その後第二の殺人までに名古屋、大阪、神戸、京都と転々とします。
第二の殺人
1963年10月28日、静岡県浜松市で、京都大学教授と身分を偽って浜松市内にある貸席「ふじみ」に1週間ほど宿泊し、女将の藤見ゆきさん(41歳)と母親のはる江さん(61歳)に完全に教授であることを確信させ、女将は西口に夢中になってしまいました。
それから女将がもっと泊まっていってくれというにも関わらず疑われないように一度予定通りにそこを去ります。
その後11月14日に「ふじみ」に戻り、女将はゲストルームではなく自分の部屋に西口を泊まらせます。
11月18日、西口は二人を殺害し、貴金属を盗み出してそれらを質入れし、4万8千円を手にします。
他に「ふじみ」の電話加入権も質入れし、10万円を受け取っています。
その後は全国の地方裁判所や刑務所で弁護士を名乗り詐欺でお金を奪っていました。
第三の殺人
東京地裁に現れた西口は、そこで弁護士の神吉梅松さん(82歳)に「弁護を依頼したい」と声をかけ、12月29日に神吉さんの豊島区の自宅アパートに上がり込み、神吉さんを殺害し、弁護士バッジと現金14万円を盗みました。
その結果、死刑判決を受け、控訴をしたもののそれを自分の意思で取り下げ、44歳で死刑になりました。
【西口彰事件】逮捕のきっかけとなった少女
古川るりこちゃんが西川彰が装っていた弁護士を見破り犯人と特定した!
【るり子ちゃん10歳】
1962年1月2日、熊本県玉名市にある「立願寺」に現れた西口彰は、冤罪事件の支援活動を行なっていた住職の古川泰龍さん(43歳)に会いにいきました。
古川さんは福岡刑務所の教鞭師を務めていたので、西口は刑務所で古川さんに会ったことがあり、そのため、西口は古川さんがどんな活動をしているのかよく知っていたそうです。
西口彰は古川さん「あなたの支援活動を援助したい」と、弁護士を名乗って近づきました。
古川るり子が西口彰を犯人と見破った理由
両親が西口と話をしているところで、西口を見た古川さんの次女のるり子さん(10歳)は同級生と一字違いということで名前を覚えていた指名手配書に載っている西口を殺人犯だと見抜いたのです。
母親にそのことを告げますが、父親も「失礼だろう」と相手にしてもらえず、この話はなかなか信じてもらえませんでした。
しかし、ほおにあざがあることなどが手配書に出ていることなどから、事実の可能性が高い事を徐々に察した両親は警察に通報します。
警察も本当に西口かという疑いがあったらしく、なかなか逮捕しなかったため、もう少しで西口は古川一家を惨殺するところでした。
この時るり子さんは10歳で、全国にいる12万人の警察官より上だと言われました。
【西口彰事件】犯人の動機は?
【古川泰龍さん】
それは普通の生活に使うためのものではなく、西口には愛人が何人もいたため、彼女たちのために使うお金が必要だったのです。
中学を中退してから働いてもその働いた場所で犯罪を犯しており、刑務所にいる時間の方が長かったため、窃盗や詐欺が中心になる生活を送っていました。
それがしまいには殺人を犯すことにまでなっていったのです。
【西口彰事件】西口彰の「最期の言葉」
1970年12月11日、西口彰の死刑が執行されました。
西口は死刑になる直前に、隣の房にいる死刑囚の一人に、「古川教鞭師が来たら、お経をあげて下さいと頼んで下さい」と言っています。
さらに、執行されるときには、「遺骨は別府湾に散骨して下さい、アーメン」と言ったとのことです。
当時、冤罪となった免田さんも福岡拘置所に入っていました。
釈放されてから免田さんが西口彰の死刑に関して、「死刑当日の服を自分で用意していて、潔かったですよ。拘置所に34年間いたけど彼のような死刑囚はいなかった。」と語っています。
西口は、古川住職が西口の子供たちの学費を援助したりしてかなりサポートしていたことなどから改心し、控訴を取りやめ、死刑を受け入れ、普段は点字翻訳のボランティアをしていたそうです。
その西口が訳した本を読んで早稲田を卒業した人が、今は議員になって活動しているということで、最期には意味あることをしたと言えるでしょう。
もっと早くに古川住職のような人に会えていたら、人生が変わっていたかも知れません。
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まとめ
『悪魔の申し子』と裁判で言われた西口彰が起こした5人連続殺害した事件「西口彰事件」についてまとめました。
- 西口彰は、お金目的で3件の殺害事件を起こしていた。
- お金は生活費というわけではなく、たくさんいた愛人に使うために必要だった。
- 西口彰は死刑になった。
- 西口彰は死刑の前に海に散骨することと、アーメンと言って死んだ。
- 最期には改心して死刑控訴を取り下げ死刑を受け入れてボランティアをして死んでいった。
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