2024年2月6日の「ザ!世界仰天ニュース」で、約20年前に起きた福知山線脱線事故を取り上げます。
この事故では、117人が死亡という大変大きな事故でした。
この事故の生存者は何人なのか調べ、証言や手記のまとめを紹介します。
- 【福知山線脱線事故】について
- 【福知山線脱線事故】生存者は何人?
- 【福知山線脱線事故】証言は?
- 【福知山線脱線事故】手記は?
ここでは、福知山線脱線事故についての証言や手記のまとめを行います。
【福知山線脱線事故】について
【福知山線脱線事故】に関しては、次の記事にまとめてあります。
ご興味があればお読みいただければと思います↓↓↓
【福知山線脱線事故】生存者は何人?
怪我をしなかった人が何人いたのかが不明なため、何人生存したのかはわかっていません。
1両目から3両目はほぼ全員が怪我をしていただろうと思われます。
下の表に、車両別の死亡者数と負傷者数が出ていますので参照していただければと思います。
乗っていた車両によって死亡者や怪我人数が変わり、4両目以降7両目までは死亡者は0で済んでいます。
車両の潰れ方を見ても、1両目で助かった人がいたことに驚くくらいひどいものでした。
運転士1名、乗客男性58名、 女性48名の計107名が死亡
負傷は男性227名、女性335名の合計562名
この事故における運転手を含む死傷者数
どこに乗っていたか分からなかった人もいたのですね。恐ろしいことです。
救助をされた方々も精神的に大丈夫か心配になりますね。
【福知山線脱線事故】証言は?
これは神戸新聞の記事を参考にしています。
まず、完全に潰れていた1両目に乗っていた人たちの証言です。
女性(32)の証言(年齢はいずれも事故当時)
兵庫県宝塚市の女性(32)は、母と叔母とともに、親類を訪ねる途中でした。
「脱線の瞬間、最初に叔母がぐらついて、母が叔母の手を取って…。2人の手に向けて私が左手を差し出したときが、2人を見た最後でした」。その後、意識を失ってしまいました。
男子大学生(20)
カーブの手前でスピードが速いと感じ、両手でつり革を持ちました。それでも、「体が前方にもっていかれた。前に座っていた人が飛んで、自分の荷物が飛ばされ、僕もつり革を離した」
男子大学生(18)
片手でつり革を持ち、目の前に迫ってきた窓ガラスにもう一方の手をつきました。外に見えたのは、地面でした。
アルバイト女性(32)
電車に座っていました。床が徐々に上がってきたのを覚えているそうです。自分の座席が、車両の下側になり、「立っていた人たちが降ってきた。恐ろしさで、声も出なかった」
会社員の男性(42)
「車内は、モノと人が激しく混ぜ合わされたような状態。顔面から水に飛びこんだときに似ていた。無数の泡が目に入り、何が何だかわからないのと同じ感じ」
会社員の男性(35)
「空の卵のパックを手で押しつぶすときのように簡単に、車体はメリ、メリ、メリとつぶれていった」
会社役員男性(67)
「電車が止まった瞬間、上から人がボトッ、ボトッと落ちてきた。前の方は、駐車場の鉄柱など、がれきの山だった。後ろの方は空間があった」
女子大生(21)
隣にいた親友の名前を呼びました。しかし、返事はありませんでした。女性は、ガラスで足などに大けがをし、親友と自身の死を覚悟しました。「すぐそばの男性は、目を閉じたままガタガタと震えていた」
男子大学生(19)
「体が浮き、目の前の景色が徐々に傾いて地面に近づいていった」
脱線。本能的に手すりにしがみつき、強い衝撃で意識を失いました。
気が付くと、体の上に何人もの乗客が折り重なっていました。首と右手だけが動かせた。滴る液体に触れると手のひらが真っ赤に染まりました。血だった。
「痛い」「助けて」。周りで訴える声がだんだん小さくなっていき、「僕も死ぬんや」。ぼんやりそんなことを考えていました。
「頑張りや」。隊員や医師が手を握り、水を飲ませ、点滴をしました。意識が遠のくたび、手をぎゅっと握られました。
希望と絶望を行ったり来たりしていました。「自分の身を危険にさらしてまで、助けてくれる人がいる」。その思いが力をくれました。
周囲の鉄パイプが取り除かれ、大学生の体がすっぽり抜け、やっと助けられました。事故から22時間後のことでした。
【助け出される女性】
ここからは2両目に乗っていた人たちの証言です。
調理師男性(35)
1メートル四方ほどしかない空間の中で意識を取り戻しました。「足元には乗客が重なり合っていた」。血まみれの顔が見えていました。
会社員男性(25)
子供が血を流しながら泣いていたことが忘れられない。
無職女性(26)
自分は仰向けになっていました。目の前に男性の後頭部があり、男性はしばらく動いていたが、そのうち動かなくなりました。亡くなったとわかったそうです。
男子大学生(20)
両足を乗客の体に挟まれ、激痛に襲われていました。救助のロープが車内に垂れ下がると、自分の上に乗った意識不明の乗客に結び付け、引き上げてもらいました。同世代の人もいました。
「ごめんな、ごめんな」。泣きながら、ロープを結び付けたそうです。
男子大学生(18)
事故直後から十人以上が「痛い」「苦しい」というのを聞いたが、その声のほとんどは聞こえなくなっていきました。
大学生が救助隊に発見されたとき、生きていたのは大学生ら4人だけでした。大学生は事故から18時間後に救助されました。その瞬間、意識を失いました。
【福知山線脱線事故】手記は?
JR福知山線脱線事故―2005年4月25日の記憶 JR福知山線脱線事故被害者有志 (著)
JR福知山線脱線事故からのあゆみ〜ふたつの鼓動 小椋 聡 (著), 小椋 朋子 (著)
福知山線5418M 一両目の真実 吉田 恭一 (著)
最後の絵手紙―福知山線脱線事故で夫を失った妻の手記 石井 房江 (著)
京急線脱線事故に居合わせて人生観が変わった話 ゆき (著)
JR脱線事故からの生還―キャリア・カウンセラーが綴った再生の記録 内藤 友子 (著)
この事故にあった人たちによる手記、またこの事故で遺族となってしまった人たちによる手記などが出版されています。
この事故について書いている本も沢山あります。
読んだ人の感想を見ると、みなさん相当なショックを受けていました。
報道で伝えられていないことが沢山あるようです。
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まとめ
福知山線脱線事故の証言や手記を中心にまとめました。
- 生存者数は何人かはっきりわかっていない。全く怪我がなかった人がどれだけいたのかが不明である。
- 後方車両に乗っていた人の中には怪我をしないで済んだ人もいた可能性はある。
- 証言は特に悲惨だった1両目と2両目に乗っていた人たちからが残っている。
- いずれも事故直後はもう少し生きていた人たちが、次第に亡くなっていったことがわかる。
- 救助に22時間かかった人までいた。
- 事故にあった当事者だけでなく、遺族の手記も出版されている。
- またこの事故に関する本も多く出版されている。
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