朝ドラ【ブギウギ】に刑事役で内藤剛志さんが刑事役で出演するとの発表には驚きましたね。
実は、スズ子のモデル・笠置シヅ子さんの子供の誘拐未遂事件があったことがわかりました。
この事件は【ブギウギ】でも描かれるということですね。
ここでは実際にあった笠置シヅ子の子供誘拐事件の真相を紹介します。
- 笠置シヅ子の子供誘拐事件の真相
- 笠置シヅ子の子供誘拐事件の犯人は誰か
- 笠置シヅ子の子供誘拐事件の犯人の現在
- 笠置シヅ子の子供誘拐事件はなぜ起きたのか
- 個人情報は守られてなかった
- 長者番付が公開されていた
このことについてみていきましょう。
笠置シヅ子の子供誘拐事件の真相は?
1954年(昭和29年)3月31日、笠置シヅ子さんの自宅に脅迫状が届きました。
子供のヱイ子は6歳で、小学校入学直前ですね。
匿名で、
自分たちの結社に金が要るから、天神橋下に6万円を置け。さもなければ一人娘を殺す
というものでした。
警察に連絡しましたが、電話も含めて計9回の脅迫があったということで、テープレコーダーで録音していました。
逆探知はまだできない頃ですね。
笠置シヅ子さんの子供‣ヱイ子さんは誘拐されることはなく、無事でした。
笠置シヅ子の子供誘拐事件の犯人は誰?
結社という言葉を使っているのは、秘密結社か何か、危険な団体と思わせるためだったのでしょうか。
ネット上には横田武夫という名前が出ていますが、確証はありません。
同姓同名の方もいらっしゃるようですね。
しかし、翌年も同様の事件を起こしていたため、結婚という理由は嘘だったのでしょうか?
それとも、事件を起こしたことで結婚はなくなった可能性もありますね。
結婚相手は、自分との結婚のためとはいえ、そんな事件を起こした人と結婚する気にはなれないかもしれません。
笠置シヅ子の子供誘拐事件の犯人の現在は?
2回の誘拐未遂、脅迫事件を起こした後に、改心して地道に働いていればいいですね。
日本は、この後高度成長期となり豊かになっていきますから、仕事も見つけやすくなって行ったのではないでしょうか。
笠置シヅ子の子供誘拐事件はなぜ起きたのか?
笠置シヅ子の子供誘拐事件が起きたのは、1954年は高度成長期のはじまりと言われますが、まだまだ一般の国民は貧しい時代だったからでしょう。
苦しさから犯罪に手を染めようとする人も現れたのでしょう。
個人情報は守られてなかった
個人情報の保護という考え方が全くなかった頃、笠置シヅ子さんの子供や家は雑誌に紹介されるなど、誰でもわかる状況でした。
なんと雑誌に、芸能人本人の住所や電話番号が掲載されていて、直接ファンレターを送ることができたといいますから、驚きですね。
笠置シヅ子さんの家は、世田谷区の敷地306坪、ハリウッド風の豪邸でした。
平屋建で、全自動のゲートが設置され、広大な庭園は色とりどりの花が咲き乱れる「笠置ガーデン」と呼ばれていました。
その庭園で毎年子供・ヱイ子さんのバースデーガーデンパーティを開いていました。
お手伝いさんなども家族で敷地内に暮らしていたといいますが、シングルマザーの笠置シヅ子さんなら簡単にお金をとれると思ったのでしょうね。
この事件以降、笠置シヅ子さんは、子供・エイ子さんをテレビや雑誌等に出すことをやめました。
長者番付が公開されていた
芸能人について、毎年テレビで発表されていたのを覚えています。
2005年4月から施行された個人情報保護法によってなくなったものの一つです。
笠置シヅ子さんのような事件を防ぐ、犯罪抑止の意味もありました。
1949年、笠置シヅ子さんは東京在住著名人の高額納税者ランキングで、作家の吉川英治さんに次いで2位でした。
笠置シヅ子は金を持っている、そう思われていたのでしょう。
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まとめ
笠置シヅ子の子供誘拐事件の真相を紹介しました。
- 1954年3月、笠置シヅ子さん宅に脅迫状が届けられました。
- 6万円を出さなければ子供のヱイ子を殺害するというものでした。
- 金の受け渡し場所に警察官が待ち構えていて、現行犯逮捕されました。
- 犯人は30歳無職の男で、結婚を控えて失業してしまったというのが動機でした。
- 当時は個人情報が守られることはなく、笠置シヅ子さんの豪華な家は、誰でもわかる状況でした。
- 高額納税者も税務署から発表されていたため、笠置シヅ子さんの収入が多いことも知られていたことも、狙われた理由でしょう。
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