【光る君へ】第16話でたねや両親の命を奪い、まひろまでが倒れることになった「疫病」ですが、果たしてそれはどんな病気だったのか、何が問題で発生したと考えられていたのかなどを、歴史上の事実から考察します。
※ドラマのかなり大きなネタバレを含みますのでご注意ください。
- 疫病の正体は天然痘
- 道長の兄道兼もかかった
- 流行した理由は?
- 道隆の死因は疫病ではない
疫病の正体は天然痘
天然痘は天然痘ウイルスを病原体とする感染症です。
紀元前1350年ごろにはすでに記録がみられる古い感染症ですが、長い間世界各地で猛威を振るいました。
- 感染力が強い
- 致死率は20%から50%
- 全身に膿疱を生じ、治癒しても跡が残る
【光る君へ】では特徴的な膿疱などは描写されていませんでしたが、かなり悲惨な見た目になることもありますので、そこを配慮してひかえたのかもしれません。
正暦の流行は猖獗を極め、赤染衛門の手による栄花物語にも都大路に遺体が放置されている様子が描かれています。
ちなみに天然痘は現在では撲滅されています。
道長の兄道兼もかかった
天然痘は宮中でも猛威をふるい、半年の間に権大納言以上の公卿が2人を残して全滅するという事態となりました
- 関白:藤原道隆(995年5月没)
- 左大臣:源重信(995年6月没)
- 右大臣:藤原道兼(995年6月没)
- 内大臣:藤原伊周
- 大納言:藤原朝光(995年4月没)
藤原済時(995年5月没) - 権大納言:藤原道長
藤原道頼(995年7月没)
さすがに全員が天然痘で亡くなったというわけではないようですが、それにしても悲惨な状況と言わざるを得ません。
ここで上位者のほとんどが死んでしまったことが、道長の大躍進につながりました
七日関白と呼ばれた道兼
- 4月10日:関白道隆死去
- 4月27日:道兼に関白宣下
- 5月2日:道兼が奏慶のため参内
- 5月8日:道兼死去(享年35歳)
「光る君へ」では悲田院を視察する様子が描かれていました。
もしも視察が複数回に及んでいたなら、そこでり患したのかもしれません。
流行した理由は?
病気の原因もわかっておらず、居住する環境や栄養状態も良くなかった当時は、疫病が流行りだすと止めることはとても難しかったようです。
それどころか厄病神の退散を祈って神輿を作って練り歩くなど、「密」で流行が広がる状況を作ってしまう事も珍しくありませんでした。
祇園祭も元々は厄病神を鎮めるお祭りです
869年に疫病が流行したことをきっかけに始まりました
病気平癒の加持僧や陰陽師が、病気を運んでしまう場合もあったことでしょう。
特にこの時代は流行り病が多く、天然痘だけでなく風疹や麻疹、インフルエンザかと思われる病気が次々と京で流行りました。
道隆の死因は疫病ではない
上でも「全員が天然痘で亡くなったわけではない」としていましたが、その「天然痘以外で亡くなった公卿」が、道長の長兄である関白道隆です。
現代に比べて甘いものはかなり乏しかった平安時代ですが、貴族には糖尿病患者がよくいたようです。
道隆は酒好きで有名でした。
当時の酒はアルコール度数がひくく、飲み過ぎるとアルコール中毒よりも糖尿病になる危険性の方がたかかったようです。
ちなみに道長も最期は糖尿病で亡くなったようですので、家系的な体質の問題もあったのかもしれません。
まとめ
- 【光る君へ】16話で流行っている疫病は天然痘
- 権大納言以上の公卿が2人しか残らない大惨事となった
- 道兼も天然痘で亡くなっている
- 道隆の死因は糖尿病
- 道長も最期は糖尿病で亡くなる
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