2023年8月15日の「ザ!世界仰天ニュース」で、名古屋空港墜落事故として注目されている中華航空140便墜落事故が取り上げられます。
この事故は、264人が死亡するという日本の飛行機事故では死者数が第二位になる悲惨な墜落事故でした。
生存者は7人しかいませんでした。墜落直後に生きていた人の頭から脳みそらしきものが流れ出ていたという話を生存者がしています。その悲惨な状況とはどんな状況だったのかについて見ていきたいと思います。
- 中華航空140便墜落事故とは?
- 生存者は7人?
- 脳みそが流れるほどの悲惨な状況とは?
- 中華航空140便墜落事故における悲惨な状況
- 3歳だった生存者の今
今回は中華航空140便墜落事故について考えます。
中華航空140便墜落事故とは?
- 事故が起きた日:1994年(平成6年)4月26日
- 乗客数:256人
- 乗員数:15人
- 生存者:7人
- 事故の理由:パイロットエラーと不適切な訓練による失速
1994年4月26日に、台湾から名古屋空港に飛行してきた中華航空(現・チャイナエアライン)140便が、名古屋空港に着陸侵入中に墜落しました。
副操縦士が運転していたところ、間違ってゴーレバーを作動させてしまい、自動操縦が働き、着陸復行モードが解除されなかったにも関わらず操縦桿を押し続けたため、スロットルが全開となり急上昇した後、急降下し墜落しました。
乗客数は256人で、そのうち日本人は153人で台湾人は63人でした。
日本人の乗客はほとんどの人がパック旅行の帰りだったということです。
乗員15人のうち客室乗務員は13人で、他に機長と副操縦士がいました。
楽しく旅行してもうほとんど着いたと思った時にこんなことになってしまい、遺族はたまらない気持ちだと思います。
それもヒューマンエラーによる事故となると、今時ヒューマンエラーを避けられなかったのかと思ってしまいます。
その後裁判で中華航空は約50億を遺族に支払ったということですが、非常に低い金額で、日本で裁判を起こさずできればアメリカなどで裁判できればよかったのにと思ってしまいます。
生存者は7人?
生存者は最終的には7人でした。
全員が機体の前方に座っていたということです。この中には2人の幼児も含まれています。
初めは16人の人が生存しており救助され、病院へ運ばれましたがそのうち6人が病院到着前に亡くなってしまいました。
残りの10人のうち3人が4月27日、4月28日、5月1日に死亡しました。
そして残った7人だけが生存者となったわけです。
ファーストクラスに乗っていた人は全員亡くなってしまったようなのですが、生き残った人は翼のちょうど下に座っていたと見られ、翼の面積によって墜落の衝撃を抑えることができたのではと考えられています。
脳みそが流れるほど悲惨な状況とは?
生存者の人によると、前に座っていた人が後ろを向いて、「これを元に戻して、元に戻して、頼む」と言ってきたというのです。
見ると頭から脳みそのようなものが流れていて、その人には「もうすぐ救助隊が来ます。あまり動かない方がいいですよ」と伝えたそうです。
しかし次に見た時にはもうその人は亡くなっていたということでした。
事故時の画像を見ると、本当にバラバラという感じなので、衝撃がすごかったため、頭が割れてしまったのかと思います。
中華航空140便墜落事故における悲惨な状況
名古屋空港の隣にある自衛隊基地から自衛隊員が救助に来ました。
その中の一人の自衛隊員によると、瓦礫になってしまっている機体の中には、人の気配が全く感じられなかったということです。
そしてしばらくすると子供の鳴き声が聞こえてきたそうです。
その子供を助けるために、7,8人で瓦礫を持ち上げて、中に入っていったと言います。
その子供は、脾臓が破裂して足は骨折していましたが、助かり現在も元気です。その人を次に紹介します。
3歳だった生存者の今
【左・3歳だった長谷部弘義さん 右・32歳になった長谷部さん】
長谷部さんはお母さんと飛行機に乗っていましたが、お母さんは亡くなってしまいました。
墜落の衝撃で脾臓は破裂、足は骨折、内臓も叩きつけられたショックで痛めつけられていた長谷部さんは、小牧市民病院に入院、お医者さんが24時間付きっきりで診ていてくれたそうです。
水を飲むことができるかどうかも難しいという危険な状態でしたが、その状態の長谷部さんを助けてくれた医師・末永裕之さんを、長谷部さんは披露宴に招待したと言います。
末永医師も、「医者冥利に尽きる」とここまで元気になった長谷部さんを祝福しました。
さらに、潰れた瓦礫の下から長谷部さんを救出した自衛隊員の中村秀昭さんは、知人から紹介されて長谷部さんが経営するお店を訪ね、再会しました。
その時は二人とも泣きながら抱き合ったと言います。
長谷部さんが小牧市民病院で目を覚ました時、声をかけてくれた父親がその後転職してでもそばにいてくれたことを感謝して自分も負けないような父親になりたいと父親になった今、強く思うと言います。
縁のあった方々と今も繋がっているのは素晴らしいですね。29年経った今、恐ろしい事故の記憶を後世に伝えていくことは今後の安全を考える上で大事なことだと思います。
まとめ
1994年4月26日に起きた中華航空140便名古屋空港墜落事故についてまとめました。
- 日本で起きた旅客機事故では日航機に次ぐ死亡者を出した事故で264人が死亡した。
- 原因は操縦ミスと不適切な訓練による失速
- 生き残った7人は皆前方に座っていた
- 犠牲者の一人3歳だった人は現在元気で、当時救助してくれた自衛隊員や医者と今も繋がっている。
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