- 【光る君へ】ネタバレ解説
- 【光る君へ】第3話感想
- 【光る君へ】源氏物語モチーフの場面
【光る君へ】ネタバレ解説
- 第3話のあらすじ
- 放免ってなに?
- まひろが出かけた土御門殿ってどこ?
- 「謎の男」っていったい誰?
第3話のあらすじ
第2話に引き続き永観2年(984)を舞台に物語が展開します
年(西暦) | 出来事 |
永観2年(984) | 三郎が人違いで放免に捕らえられる (身分がわかるとすぐに解放された) 邸で三郎を案じるまひろに、謎の男が三郎の無事を告げる 円融帝の不調を不審に感じた実資が陪膳の女房を調べる まひろが太郎に三郎探しを頼む まひろが父の言いつけで土御門殿へ向かう 土御門殿の帰りに散楽をしている広場で三郎と再会する |
放免って何?
三郎を人違いで捕まえた「放免」。
なんだか偉そうで荒っぽい彼らは検非違使の下部で、治安維持を担っていました
検非違使:京都の治安維持を所管する
放免は犯罪者の探索や捕縛、時には拷問や獄主を担当していましたが、犯罪者の情報収集などの利便を考慮して犯罪歴のあるものを採用していたそうです。
犯罪者の更生ということ?
結果的に捜査は荒っぽく、また取り締まるはずの放免が犯罪に加担するようなことも頻繁に起こりました。
「獄で嬲り殺される」というのは冗談でもなんでもなかったのです。
平安時代は死刑を事実上廃止していましたが、取り調べるうちに容疑者が死亡する「杖下に死す」という事態は頻繁に起こっています。
まひろが出かけた土御門殿ってどこ?
第3話でまひろは左大臣源雅信の息女倫子の情報を手に入れることを期待されて、土御門殿に送り出されました。
この土御門殿、まひろの家のご近所です。
グーグルマップの表示によれば、紫式部邸跡にある慮山寺から土御門邸跡までの道のりは何と徒歩6分。
もちろん当時はどちらも敷地が広かったでしょうから、門の位置などによっても実際の距離は変わりますが、かなり近いことは間違いありません。
こう見ると、帰り道で通りかかる「散楽の広場」もかなり近そうなのがよくわかります
兼家が倫子の事を気にしたのは、倫子がまだ適齢期で、左大臣の息女であったからです。
この頃、権力を完全に掌握するためにはいくつもの条件を満たす必要がありました
- 自身が大納言以上、できれば大臣に昇進している
- 娘を天皇か東宮に入内させ、皇子が生まれる
- 娘が立后する
- 娘の産んだ皇子が天皇に即位する
- 自分が孫の摂政(関白)となる
自身の位が低ければ、娘を女御にすることもできませんし、天皇や東宮と娘の年回りが悪ければ、やはり入内させるのは難しくなります。
そもそも娘が生まれないという事もあり得るわけです。
さらに入内した娘が皇子を生むかどうかもわかりません。
ギャンブルの要素が多いなあ…
兼家はこの条件の内、娘の立后と、娘の産んだ皇子が即位する事以外までは満たしていました。
孫の皇子が即位すれば、娘も母后として立后することができます
一挙両得で条件クリアだ!
そして孫の皇子の即位は、自身が摂政(関白)となることを意味しました」
立后:天皇や上皇の嫡妻である后となること。皇族として扱われる
兼家は自分の孫を東宮にするために、円融帝を譲位させようとしていました。
円融帝が譲位すれば現在の東宮が即位し、そのあとに詮子の産んだ皇子が立坊(東宮となる事)することができます。
円融帝の次の帝となる東宮師貞親王に兼家の娘は入内していませんから、師貞親王のもとに有力な公卿の娘が入内することを兼家は警戒していました。
左大臣源雅信の息女である倫子は有力なお妃候補であり、入内するかどうかという情報は兼家にとって重要なものでした。
「謎の男」っていったい誰?
第3回の副題にもなった「謎の男」。
散楽の一座の一員である彼には「直秀」という役名がついているようです。
- 散楽で藤原批判を繰り広げる
- 放免にいちゃもんをつけられていた男を救う
- まひろに三郎の無事を知らせる
- 散楽の場でまひろと三郎を引き合わせる
私は直秀を見ていて盗賊「袴垂れ」を連想しました。
袴垂れ:平安中期の盗賊。正体は藤原保輔ともいわれる。
史実の袴垂れは本当に単なる盗賊だったのでしょうし、正体が藤原保輔だというのもあやしいはなしのようですが「検非違使に矢を射た」とか、「貴族の邸に押し込み強盗に入った」などという話があることから創作の世界ではやや「義賊」じみた書き方をされることも多いせいかもしれません。
直秀が「袴垂れ」なのか、藤原保輔と関係があるのか、ちょっと気になります。
【光る君へ】第3話感想
- どの子にも「お前こそ」とかいう兼家
- 太郎もすごく活発だった
- 空気をよめないまひろ
- 空気をよんじゃった実資
- 定子は袴をはいていた。
感想は以後の歴史にも触れますのでネタバレを含みます。ご注意ください
どの子にも「お前こそ」とかいう兼家
これ、絶対に良くないですよね。
だって「どの子にもいいところを見つけてほめる」わけではなくて「どの子ものせて自分のいいように扱う」なのがわかりますから。
兼家と嫡妻だった時姫の間には3男2女が生まれていました。
- 道隆(953年生まれ)
- 超子(954~982)
- 道兼(961年生まれ)
- 詮子(961年生まれ)
- 道長(966年生まれ)
最初に書いた超子は冷泉天皇の女御で、後に三条天皇となる皇子を生んでいますが、早くに急死しています。
兼家という人は多くの妻や通いどころを持った人でしたので、道長たちには腹違いの兄弟も多くいました。
ですが、ライバルとなり競り合ったのは同母の兄弟である道隆と兼家が最も激しかったようです。
兼家が長男である道隆に関白を譲ったことを、次男の道兼は決して許しませんでした。父のために手を汚した自分こそが父の後継者であるべきという自負があったようです。
ただ、道隆は長男というだけでなく、入内させる娘にも恵まれていました。
道隆には一条天皇に入内した定子だけでなく、三条天皇に入内した原子やさらに下の娘を合わせて、嫡妻の貴子との間に4人の娘がいました。
道兼は中々娘に恵まれませんでした。(脇腹の娘はいた)
兼家にしてみれば、道隆に関白を譲るのが最適解だと感じていたことでしょうが、「汚れ仕事」をおしつけられた兼家が怒ったのも無理はないと思います。
太郎もすごく活発だった
姉が姉なら、弟も弟というべきか、まひろに「三郎探し」を頼まれた太郎は、驚きの行動力を発揮していました。
ただ、この絵と「三郎」という名前だけでの人探しには、そもそも無理があります。
三郎という名前は単に三男という意味の名前です。
まひろの弟の幼名が「太郎」なら、道長の兄で長男の道隆の幼名だって出てないだけで「太郎」かもしれません。
このありふれた、手がかりとも言えない名前で人を探すのは確かに難しいことでしょう。
道長の目の前で従者に聞きこんでいたのはおかしかったですが、太郎が与えられたわずかなもので、ベストを尽くしたのは間違いないと思います。
行動力は似た者姉弟だ!
空気をよめないまひろ
「女は一という字も読めないふりをした方が可愛げがあって幸せになれる」
そんな風潮がある中でも、女性が全く漢字に触れないというわけではありませんでした。
「偏つぎ」は枕草子にも出てくる遊びで、宮中の女房も興じたことが書かれています。
ただ、お嬢様方の集まりで、いきなり無双するのはさすがに空気が読めていないというものでしょう。
どう見ても一座の教師役の赤染衛門が和歌をそらんじたのに「合ってます」もどうかと思います。
左大臣家の姫君である倫子はもちろんのこと、まひろ以外の女性は全員絹をまとっているのがわかります。
まひろは徒歩で土御門殿へ向かっていましたが、他のお嬢様方はおそらく車を使っているでしょう。
髪だって束ねているのはまひろだけです。
服装ひとつとっても、まひろは一座の中で浮いていました。
ブランドスーツの集まりにスーパーの特売のトレーナーで参加した程度の違和感は確実にあったことでしょう。
まひろは全く空気が読めていませんが、送り込んだ為時も全く配慮が足りていません。
変なところが似た者父娘というか…
空気をよんじゃった実資
円融帝の病状に疑問を持った実資は、毒物の使用を疑って内侍所を調べましたが、女官の圧に負けて引き下がりました。
まひろが空気を読めてないのは良くないですが、この場合実資は空気をよんじゃったのがダメな感じです。
その「せっかく解に近づいたのに、腰砕けで詰めが甘い」感じがとても実資らしく素晴らしかったです。
この藤原実資を秋山竜次さんが演じるというキャスティングは、個人的に発表された時にもっとも「光る君へ」への期待値を上げてくれました。
平安時代に限らず、貴族というのは日記を多く残しているものです。
これはすべてにおいて「前例」が重視される貴族社会で、子孫のためにできるだけ「前例」を残すという必要から来ます。
目的が「前例を残すこと」なので、日記と言っても個人的な感情よりも「記録」の側面が強くなりがちなのですが、実資が残した「小右記」は実資の「ぼやき」がたくさん書かれています。
実資は元は藤原北家の主流だった家柄に生まれながら、兼家たち「九条流」におされて、時世からやや外れてしまった人物です。
名門出の自尊心もあり、博識でもあり、権力に恬淡としていられないほどには俗っ気もあり。
秋山さんのキャスティングを知ったとたん、私の中で実資が秋山さんの姿でぼやきだした気がしました。
なんかもう、ハマりすぎ!!
実資は彰子中宮の元に出仕した紫式部とも交流がありました。
「あのまひろ」と「あの実資」がどんな人間関係を築くのかに注目したいと思います。
定子は袴をはいていた
残念ながら足元まで映っている画像が見つけられなかったのですが、この写真でも衵を羽織っていることはわかると思います。
この頃の定子は8歳ですので、第1話のまひろと同じような年頃ですが、服装がかなり違いました。
切り袴に絹の衵を重ねた姿は、まさに「お姫様」という感じです。
実はこの定子の雰囲気は結構意外でした。
枕草子を読んだ感じでは、もっと明るい朗らかな女の子を想像していたので。
定子は「悲劇の中宮」ですので、実質初登場の今回はそこを重視したのかもしれませんが。
定子中宮:一条天皇の最初の中宮。父を亡くし、兄弟が罪に問われるどん底の状況で、皇子と2人の皇女を生む。2人目の皇女を生んだ折に夭折した。(享年25歳)
今後、定子がどんな風な女性として描かれるのか楽しみです。
楽しみなネタが多すぎる!!
【光る君へ】源氏物語モチーフの場面
- 宮中で道長を含む若い公達が女性の話をする:「箒木」の「雨夜の品定め」
これは源氏物語の中でもかなり有名なシーンですね。
雨の夜に宿直をしている源氏や頭中将が、恋の相手としての女性を様々な経験談を交えながら品定めする場面です。
実はこの場面で「中流の女にいいのがいるぞ」となったことが、源氏が夕顔や空蝉に通う展開につながります。
まとめ
- 土御門殿でまひろは空気をよめていない
- 実資は空気を読んで引き下がる
- 太郎も行動力は姉に負けていない
- 定子は幼少期でも袴をはいていた
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