【光る君へ】4話の感想とあらすじ・ネタバレ解説。五節の舞が綺麗すぎる!

この記事でわかる事
  • 【光る君へ】ネタバレ解説
  • 【光る君へ】第4話感想
  • 【光る君へ】源氏物語モチーフの場面
目次

【光る君へ】ネタバレ解説

ネタバレ解説
  • 第4話のあらすじ
  • 東宮ってどうやってきめるの?
  • 本当に円融帝に毒を盛ったの?
  • 五節の舞ってなに?
  • 平安時代の防犯体制

第4話のあらすじ

第4話も引き続き永観2年を舞台としています

第4話のあらすじ年表
年(西暦)出来事
永観2年(984)散楽の場でまひろと道長が再会する
円融帝の譲位が決まり、懐仁親王の立坊が決まる
円融帝が詮子をなじる
8月、花山帝即位
為時が式部丞の蔵人に任ぜられる
倫子が五節舞の舞姫に決まる
まひろが倫子の代役をつとめることになる
五節舞の席でまひろは道長と道兼をみつける

東宮ってどうやって決めるの?

東宮(皇太子)と言えば現在は基本的に「天皇の嫡子」ですが、当時は事情が違いました。

第63代から第69代までの天皇とその父母
天皇父(代)母(父)
63冷泉天皇村上天皇(62)中宮藤原安子
(藤原師輔)
64円融天皇村上天皇(62)中宮藤原安子
65花山天皇冷泉天皇(63)藤原懐子
(藤原伊尹)
66一条天皇円融天皇(64)皇太后藤原詮子
(藤原兼家)
67三条天皇冷泉天皇(63)藤原超子
(藤原兼家)
68後一条天皇一条天皇(66)中宮藤原彰子
(藤原道長)
69後朱雀天皇一条天皇(66)中宮藤原彰子

父子で続けて即位している例が意外と少ないことがわかると思います。

これは天皇が譲位するときに次の東宮を指名することが多かったことによるものです。

当時は天皇の即位と同時に東宮が決められていました。

しかも幼少で即位する天皇が多く、即位するときには皇子がいないことが多かったのです。

【光る君へ】で兼家が強引に円融帝を退位に追い込むことができたのは、円融帝には東宮に指名することができる皇子が一人しかいなかったことによります。

次代東宮の人選は一致していたんだね

ちなみに後一条天皇の東宮には最初は三条天皇の皇子が立坊しましたが、即位することなく東宮を辞退しました。

本当に円融帝に毒を盛ったの?

調べてはみたのですが、実資の書いた「小右記」などにもそれらしい記述が見つかりませんでした

兼家という人は豪胆というよりは人もなげなエピソードの多い人物ですので「なかった」とはいえないのですが。

道兼が内侍所の女官をたぶらかしていたかどうかもわかりませんでした。

道兼の妻
  • 藤原繁子:一条天皇の乳母/藤原師輔の娘
  • 藤原遠量の娘
  • 藤原国光の娘

妻の中で確実に宮仕えをしていたのは藤原繁子ですが、もともとは詮子付の女房から一条天皇の乳母になった女性ですので、帝のお膳に近づくことは難しそうです。

もちろんこの3人以外にも交渉のあった女性がいた可能性はあります。

結論としては「史実とまでは言えない」というところでしょうか。

五節の舞って何?

現在でも「勤労感謝の日」に行われている「新嘗祭」に付随する豊明の節会で舞われる舞の一つです

この舞の特徴は貴族出身の未婚女性が選ばれて舞うところにあります。

あまつかぜ 雲の通い時ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん(僧正遍照)

上の百人一首の歌はこの五節の舞姫たちが舞い納めて去っていくのを惜しんで歌われました。

源氏物語の源氏も五節の舞姫をつとめた女性と関係を持ったことがあることが書かれていますし、源氏の長男である夕霧も五節の舞姫をつとめた女性に歌を送りました。

実際に「五節の舞姫」が見初められることがあったという事なのでしょう。

役目柄、男性の目にさらされることになるのを嫌って、【光る君へ】の倫子のように代理を立てることもあったようです。

実際には1回ではなく、試楽(リハーサル)も含めて3回舞いました。

舞姫だけでなく、「童女」「下仕え」「かしづき」などの付き人も天皇に謁見します。

この「五節の童女」たちが謁見で衆目に触れることを気の毒がる記述が、紫式部日記にも出てきます

平安時代の防犯体制

はっきり言ってザルでした。

宮中でも警備は手薄で、賊が入り込んでくることがありました。

そもそも日常的に物乞いが入り込んでいたことが「枕草子」の記述で確認できます。

被疑者の邸の庭に捕り物見物のやじ馬がなだれ込んだという話もありますので、民衆が侵入してくることを検非違使もあまり問題視していなかったのかもしれません。

それでいいのか⁉

「紫式部日記」にも、宮中に強盗が入った話が出てきます。

「紫式部日記」の強盗の記述
  • 大晦日にくつろいでいると叫び声がした
  • 女蔵人を前に押し立てて様子を見に行った
  • 裸の女性がうずくまっていた。
  • 強盗に身ぐるみをはがされた女房だった
  • 警備係は全員帰宅していた
  • 殿上の間の弟を呼びつけたが帰ったあとだった
  • 彰子中宮は裸にされた女房に衣類を与えた
  • 裸にされた女房も次の日は普通に仕えていた
  • 裸姿が目に焼き付いて「恐ろしいけどなんだかおかしい」

宮中なのに警備が帰ってしまったというところはかなり驚きです。

貴族の衣装はどれも高価で、ものによっては一式で一千万円ほどの価値のあるものもありました。女房の衣装はそこまで降下ではなかったでしょうが、それでも庶民から見れば相当高価な品だったはずです。

【光る君へ】第4話では倫子の住む土御門殿に賊が入りましたが、あり得ない話ではありませんでした。

そういや倫子も案外怖がってなかったよね


【光る君へ】第4話感想

【光る君へ】第4話感想
  • 素晴らしかった五節の舞
  • 花山天皇は大丈夫なのか
  • 宣孝は道長に気付いていた?

素晴らしかった五節の舞

紫式部が五節舞を舞ったという記録はありません。実際に待った可能性はまずないかと思われます

今回は何と言っても五節の舞です。

とても華やかで素晴らしいシーンとなっていました。

思えば小学生の頃「まんが百人一首辞典」の僧正遍照の歌に心ひかれたその時から、「見てみたい」と思い続けた五節の舞。

本当に見ることができて感無量です。

大極殿の庇の間のセットを作ることが難しかったそうで、屋外での舞に変更されてはいましたが、それでもやはり感動しました。

撮影は岩手県の「えさし藤原の郷」の政庁前広場にセットを組んで行われたそうです。

なんで寝てるの道長⁉⁉

五節舞の間、道長は居眠りをしてまともに見ていませんでした。

これは若い男性としてはあるまじきことです。

深窓のお嬢様がガチに「窓」(というか御簾)から見えないこの時代、「声が聞こえた」とか「ちらっと見えた」というだけで、殿方は胸を高鳴らせたものでした。

たとえるなら「ラッキースケベ」の軽いヤツ。現在ならすごく珍しいノースリーブとか、うっかり見えちゃった生足ぐらいの値打ちは確実にあります。

まして「顔」が見えて、衣装越しと言えども全身を眺めることができる大チャンス。

きっと「水着審査」ぐらいのインパクトはあったことでしょう。

「儀式」にかこつけてとっくりと深窓の女性を眺められるこの機会に居眠りとか、若人としての道長の姿勢には疑問を呈さずにはいられません。

花山天皇は大丈夫なのか?

本郷奏多さんが演じる奔放な師貞親王がついに即位しました。後に花山天皇と呼ばれる第65代の天皇です。

【光る君へ】でも数々の奇行を披露している花山天皇ですが、結論から言えばあまり大丈夫ではありませんでした

花山天皇の奇行は多く記録されています。

花山天皇の奇行の例
  • 即位の折に高御座に女官を引き込む
  • 清涼殿の庭で馬を乗り回そうとする
  • 女御が亡くなったショックでいきなり出家
  • 蜜柑をつないだ数珠をぶら下げた車に乗る
  • 母子両方に子供を産ませる
  • 出家したのに女性に通う
  • 子供は全員出家後にもうけている
  • 三角関係のせいで、矢で袖を射られる

一応調べてはみたのですが、女御を縛ったことがあるかどうかまではわかりませんでした。

行動には問題のあった花山天皇ですが、芸術的才能には恵まれていました。

塀の上に撫子の種をまいて咲かせたり、桜の花だけを楽しむために塀の外に植えさせたりした逸話が残っています。

塀の上の花は綺麗だったろうね

和歌にも堪能で、「拾遺和歌集」を自ら選んだと伝えられています。

良くも悪くもエピソードの多い花山天皇はこの先も見せ場の多い重要人物です。

この先も本多さんの演技が楽しみ!

宣孝は道長に気付いていた?

作中でははっきりとはかかれませんでしたが、私は宣孝が道長に気付いていなかったはずはないと考えます。

宣孝は為時とは違い、目端の利く中級官僚でした。

すでに出仕している兼家の息男の顔を知らないとは考えにくいと思います。

特に、この頃の宣孝は六位の蔵人でした。

蔵人と言えば帝の秘書官であり、雑用のために宮中をあちこち走り回る役目です。

五位の蔵人には兼家もおり、当然顔を知っていたでしょう。

宣孝は「三郎」の正体に気付いたうえで、まひろを離そうとしていたのではないでしょうか。

普通に考えて「身分を隠してもてあそぼうとしている」って思うもんね

【光る君へ】源氏物語モチーフの場面

【光る君へ】第4話の源氏物語モチーフの場面
  • 五節の舞

今回は「これ」というほど源氏物語を意識しているシーンは見当たりませんでした。

あえて言うならやはり「五節の舞」のシーンでしょう。

ただ、「源氏物語」の源氏の君は五節の舞姫を見初めましたが、【光る君へ】ではまひろが三郎と兼家を見つけました。

普通に考えて若い殿方ならだれでも興味津々だったろう「五節の舞」の間、居眠りし通した三郎はかなりの変わり者に見えたことでしょう。

若い「姫」なんて、普通は見られないからね

まとめ

  • 五節の舞のシーンはえさし藤原の郷で撮影された
  • 五節の舞に代理を立てることは本当にあった
  • 花山天皇にはヤバめのエピソードが多い
  • 平安時代の防犯体制はザルだった
  • 円融帝に毒を盛ったという「史実」は確認できない
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