- 【光る君へ】ネタバレ解説
- 【光る君へ】第1話感想
- 【光る君へ】源氏物語モチーフの場面
【光る君へ】ネタバレ解説
第1話は主に貞元2年のお話でした
- 第1話のあらすじ
- 為時はなぜ働いていないの?
- まひろと三郎が出会ったのはどこ?
第1話のあらすじ
年(西暦) | 出来事 |
貞元2年(977) | 年末に安倍晴明が凶兆を予見し、直後に大雨が降る |
貞元3年(978) ※11月29日 天元に改元 | 為時が春の除目にもれる 春に藤原頼忠の娘遵子が入内 8月に藤原兼家の娘詮子が入内 まひろと三郎が出会う 為時が東宮に漢文指南を行うことになる ちやはが兼家に殺される |
三郎(藤原道長):数え13歳
まひろ(紫式部):数え9歳
紫式部の生没年は正確にわかってはいませんが、970年から978年の間と言われています。【光る君へ】では970年に近い方の説をとっていると思われますので、数えで9歳くらいではないかと考えます。
時の天皇は64代円融天皇。まひろがやがて仕える彰子が入内した一条天皇の父帝です。
為時はなぜ働いていないの?
まひろの父為時は緑の袍を持っていました。
つまり六位か七位の位を持っている官吏だという事です。
四位以上:黒
五位:赤
六位、七位:緑
ただ、この時代の官吏は位だけ持っていても官職がないことも多く、収入がろくにないという事もあり得ました。
為時は蔵人所の雑色(六位蔵人の見習い)や播磨国の権少掾をつとめたことがあったようですが、任官が968年で人気は4年ですから977年の段階ではすでに6年間も「無役」であったわけです。
官職につくには上位者に自分を売り込むことが重要でした。
また、一部の皇族などには官職への推薦権があり、推薦する代わりに謝礼を受け取るという制度になっていました。
これは汚職ではなく、栄誉ある特権であり、国家から与えられた収入源でもありました。
官職につくのに要領だけでなく金銭が必要な場合も多かったのです。
官職で稼いだお金で次の任官運動をするのが普通だったよ
まひろの家は見るからに困窮していますから、任官のために出せるお金は多くはなかったことでしょう。
まひろの母ちやはが社に願をかけて通うのも、できることがそれしかなかったからという事なのかもしれません。
この願掛けの道中がちやはの死に繋がってしまいます。
しかもちやはを殺したのは、為時に職を与えてくれた恩人兼家の息子でした。
為時にすればやっと手に入れた官職の手づるを離すことは、子供たちのためにもできなかったのでしょう。
涙を呑むしかなかったんだね
まひろと三郎が出会ったのはどこ?
まひろの住む家は雨漏りのひどい古邸ですが、元々は大きな御邸でした。
その跡地と言われる場所に、現在は慮山寺と呼ばれる寺が建っています。
まひろが住む邸を建てたまひろの曾祖父は藤原兼輔といい、賀茂川堤に邸を建てたことから堤中納言と呼ばれました。
出仕する為時の袍がカビていたのは、雨漏りだけでなくで邸の立地が関係しているのかもしれません。
三郎が住んでいるのは父兼家の邸である東三条院です
現在は跡地の一角に東三条院があったことを示す立て札が建っています。
邸の位置関係から見ても、2人が出会ったのは賀茂川のほとりではないかと思われます。
【光る君へ】第1話感想
とても驚いたり考えさせられたりすることの多い第1話でした。
- 行動的なまひろ
- 想像以上に貧乏な藤原為時
- 「父の友人」藤原宣孝
- キレやすい藤原兼家
- 安倍晴明の言う「凶兆」とはなにか?
感想は以後の歴史にも触れることがありますので、ネタバレを含みます。ご注意ください
行動的なまひろ
ものすごく行動的な「紫式部」にまず驚きました。
私見ですが、紫式部と同時代の有名な女房である清少納言や和泉式部、赤染衛門の一般的なイメージって、だいたいこんな感じではないかと思います
- 紫式部:陰キャ
- 清少納言:陽キャ
- 和泉式部:恋愛脳
- 赤染衛門:優等生
街を走り回って散楽見物をする紫式部というのはかなり新鮮です。
庶民の食べ物だった「いわし」が好物だったという話が伝わっていますので、そういう庶民的なものに触れる機会が多かったという設定になっているのかもしれません。
もっとも、「まひろ」も陽キャではなさそうな気はしますが。
想像以上に貧乏な藤原為時
まずやたらと邸の見通しがいいなと思いました。
視線や風を遮る調度品が少ないとああなるんですね。実際に映像になると、すごくよくわかります。
調度品が少ないのは、貧しくて用意できないからなのでしょう。
夏は風が通って涼しそうですが、雪でも降るとかなり寒そうです。
暖房は火桶(火鉢のようなもの)や温石(石を焼いて布に包んだ懐炉のようなもの)しかないわけですから、少々着込んでもかなり寒かったことでしょう。
冒頭の貞元2年末のシーンで一家がまとまって寝ていたのは、寒さ対策もあるのかもしれません。
少女時代のまひろが「袴」をはいていなかったのにも驚きました。
源氏物語などには女童が切り袴をはいて、衵を羽織っていることが書かれています。
着物も丈があっていなく、おそらく「貧乏」の表現なのではないかと思われますが、弟も同じような着流しでした。
袴着は3~5歳ごろのはずですので、まひろが袴をはいていてもおかしくはなかったというか、私は普通に吐いていると思っていました。
10歳にならない少女は袴をはかなかないことが多かったのか、為時が貧乏で袴を着せられなかったのか。いったいどちらなのでしょうか。
いずれ出てくるであろう道長の娘たちや、紫式部の娘賢子の少女時代の衣装が楽しみです。
「父の友人」藤原宣孝
後の夫の宣孝が「父の友人」で「よく来るおっちゃん」だったのには意表を突かれました。
藤原宣孝という人は、かなりしゃれっ気の強い人だったようで、「枕草子」に面白いエピソードがのっています。
「地味でなきゃいかんという事もあるまい」と慣例を破ってしまう発想もすごいですが、「派手な衣装」を用意できる財力もあったわけで、いかにも要領悪そうで実際に貧乏な為時にとっては頼りになる友人なのかもしれません。
ただ、為時は娘の紫式部よりも長く生きていますので、どういう理由でまひろがこの「父の友人」と結婚することになるのかはとても気になります。
キレやすい藤原道兼
たしかに色々微妙なエピソードの多い(帝をだまして譲位させたり、父親の喪中にどんちゃん騒ぎをしたりした)人物なのですが、「まひろの母の仇」だったのはやはり驚きです。
ただ、平安貴族がまったく暴力と無縁だったかというとそんなことはありません。
おそらく【光る君へ】にも出てくることになると思いますが、道長の従者たちは甥の伊周の従者たちと「合戦」といわれたほどの暴力沙汰を起こしています。
それでも上流貴族本人が刃傷沙汰に及ぶのは、やはり普通ではないように思いますが。
安倍晴明の言う「凶兆」とはなにか?
冒頭、陰陽寮で星を見る安倍晴明は「凶兆」を予見します。
この「凶兆」はいったいな何を表しているのかはかなり気になりますが、困ったことにこの時代に「凶兆」に値しそうな事象は複数存在します。
- 986年:花山天皇の突然の出家
- 996年:疫病の流行などによる公卿の大量死
- 998年:内裏焼失
- 1001年:内裏焼失
- 1005年:内裏焼失・三種の神器の神鏡焼損
- 1005年:冷泉上皇の御所焼失
- 1019年:刀伊の入寇
晴明は詮子入内の折に自邸に雷が落ちたことも、「凶兆のはじまり」だというような事を言っていました。
詮子が一条天皇を生んだことが関係したと考えると、「花山天皇の出家」がもっともありそうです。
花山天皇は藤原の兼家にそそのかされて突然出家をした。結果、詮子の産んだ一条天皇が即位した。
あるいは因果応報まで踏まえて996年の「公卿の大量死」まで含まれることも考えられます。
道長の2人の兄は996年に続けて亡くなっている。花山天皇をそそのかした道兼も死んだ
【光る君へ】源氏物語モチーフの場面
「源氏物語」がまひろの経験に着想を得ているという表現なのか、明らかに源氏物語を意識しているシーンが見られました。
- まひろが鳥を逃がして三郎に出会う:「若紫」で若紫を源氏が見つける場面
- まひろが三郎に語る「身の上」:「桐壺」で桐壺の更衣が受けた扱い
以降の話にも「源氏物語」モチーフがどのくらい出てくるのか楽しみです。
まとめ
- 【光る君へ】の紫式部は行動的
- まひろが三郎と出会ったのは推定賀茂川の河原
- 安倍晴明が言う凶兆は花山天皇退位の経緯の可能性が高い
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