2023年3月14日の「ザ!世界仰天ニュース」で、日本の重大ニューススペシャルとして、日航機羽田沖墜落事故が取り上げられます。
事故当時、唯一機長である片桐清二さんを見ていた副操縦士の石川幸史さんとはどんな人物だったのか。
「キャプテンやめて下さい!」と逆噴射を止めようとした副操縦士の石川幸史さんの現在について詳しく調べていこうと思います!
- 石川幸史副操縦士の現在は?
- 石川幸史副操縦士の事故機での行動は?
- 日航機羽田沖墜落事故とは?
今回は日航機羽田沖墜落事故時に副操縦士だった石川幸史さんについて調べます。
石川幸史副操縦士の現在は?
石川幸史さんは現在74歳前後ですが、住んでる場所や活動については全く不明です。
2023年3月14日に放送される『仰天ニュース』で何か情報が出るかもしれない為、追って追記します!

石川幸史副操縦士ってどんな人だったの?
- 名前:石川幸史
- 年齢:74歳(2023年3月現在)
- 生年月日:不明
- 学歴:中央大学経済学部卒業後
- キャリア:日本アジア航空の機長
大学卒業後、日本航空に入社。
10年間航空機関士としてキャリアを重ね、副操縦士となりました。
日航機羽田沖墜落事故の時は、機長の片桐清二と一緒にフライトを担当。
機長が暴走して操縦を誤り逆噴射しようとした時、
『機長辞めてください!』と何とか事故を阻止しようとした人物です。
日航機羽田沖墜落事故では、腰椎と左肋骨骨折したにも関わらず、
乗客救助を行い、その後も副操縦士として研鑽を積みました。
その後、日本アジア航空で機長になったことがわかっています。
石川幸史さんはかなりの人格者で、日航のパイロットで知らない人はいなかったようです。
【日航機羽田沖墜落事故】石川幸史副操縦士は何をした?
日航機羽田沖墜落事故の時、石川幸史副操縦士は意識不明の機長に変わった最後まで飛行機に残り乗客の救出した!



ヤバイ!石川幸史副操縦士カッコよすぎる。
石川幸史副操縦士はかなり優秀な方だったようでね。
日航機羽田沖墜落事故は、前日同じ機体で羽田から福岡へ移動していました。
この時のメンバーは機長と副操縦士、同じフライトエンジニアも同じだったそうです。
その際、石川幸史副操縦士はすでに機長に何かしらの異常があったと話しています。
- 管制官から離陸許可ないのに、「許可したと」勘違いした機長の操縦を止めた。
- 離陸直後、機体が角度を機長が70度に傾けたてしまい(通常飛行中は30度)副操縦士が立て直した。
※15秒で800フィート(250m)落下した。 - 副操縦士が機長に体調を確認していた。



え?危険すぎるよ・・・
前日の飛行後、フライトエンジニアは「副操縦士がほっといてたら90度まで傾いたかもしれない」と話していたといいます。
その時、石川幸史副操縦士は機長の耳か三半規管に問題があると疑ったそうです。
逆に言うと、この状況を把握してもなお、機長を飛行機に乗せるしかなかった状況というのが昭和の日本航空の問題だったのかもしれませんね!
当日、危険がある事を察知した石川幸史副操縦士は機長の補佐をかなり意識していたそうですが事故は防げなかったようです!





コクピットでは何が起きての?
- 羽田付近で高度200フィートで機長が操縦桿を手動運転に変更。
- 操縦桿を押し、エンジンを始動して逆噴射を始めた。
- 副操縦士は機首の下がりを察知したが、機長が操縦桿を強く押しすぎていたため戻らなかった。
- 石川幸史副操縦士は機長へ「キャプテンやめて下さい」と叫ぶ。
- 機長は声に反応してが手を緩めるが、すでに遅く海に機体が墜落
航空法では、事故があった場合、機長は真っ先に乗客の救出を行うことになっています。
しかし、機長は事故時に意識不明になったフライトエンジニアと共に1番先に助けられました。
副操縦士は随分大変な目にあったと思いますが、責任感のある人でよかったです。
これだけ責任感のある方ですし、相当慕われた機長になったのではないでしょうか。
人格者だったようですし、石川幸史副操縦士のような方が会社の教育体制を作っていってほしいですよね。
日航機羽田沖墜落事故と片桐清二機長について
この事故の詳細や片桐清二機長の現在について知りたい方はコチラから!


まとめ
今回は、1982年に起きた日航機羽田沖墜落事故の際に副操縦士だった石川幸史さんについて調べました。
- 副操縦士だった石川さんは、機長に三半規管の問題があるのではないかと疑っていた
- 石川幸史さんは人格者として日航で有名だった
- 事故後、副操縦士として研鑽を重ね、日本アジア航空で機長になった
コメント