NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」、美佐江の性格や行動を見てピーンと来た視聴者も多いのでは?
”美佐江は光クラブ事件の山崎晃嗣を基にして描かれているのでは?”と。
だとしたらゾッとしますし、これからのドラマ展開がもっと楽しみになります。
そこで、「光クラブ事件」や「山崎晃嗣」について調べて整理してみました。
- ここまでの美佐江についておさらい
- そもそも光クラブとは?
- 会社設立したときの時代背景やビジネスモデル
- 代表・山崎晃嗣とはどんな人物だったか
- 生い立ちと軍での事件
- 光クラブ摘発の理由と女スパイ
- 山崎晃嗣の自死とその後
- 虎に翼・美佐江と山崎晃嗣の共通点3つ
- 美佐江の今後を勝手に予想
この記事は虎に翼の一部ネタバレを含みます
美佐江が東京へ行く話のおさらい
東京大学への合格が決まった美佐江と、その美佐江への接し方を誤ったことを悔む寅子が描かれた。
新潟で起きた赤いミサンガ団によるひったくり事件や売春事件に美佐江の姿が見え隠れするものの、真犯人逮捕に至ることはありませんでした。
寅子は慕ってくれていた美佐江と自分の立場、真犯人逮捕にならなかったことなどに頭を悩ませます。
そんな中、昭和28年3月に美佐江が東京大学合格。
美佐江の父親・森口から聞かされ、母親と共に上京することを知ります。
美佐江の詳細は関連記事をチェック
赤いミサンガを引きちぎったことや事件のことを聞くこともできないまま美佐江の登場する場面はそれ以降ありません。
しかし”このまま美佐江が大人しくしているはずがない”と視聴者は睨んでいます。
理由は、美佐江が光クラブ事件の山崎晃嗣を彷彿とさせるから!
東京に行ってからの美佐江が光クラブのような事件を起こすのでは?と予想されています。
そこで一旦ドラマの話を離れ、実際にあった会社「光クラブ」とその事件について整理してみましょう。
光クラブの概要
学生起業の先駆け「光クラブ」のポイントはコチラ
- 1948年、東京銀座に貸金業「光クラブ」を設立
- 東京大学のエリート学生だった山崎晃嗣が社長
- 目を引く広告を出し多額の資金を調達
- 個人商店や企業に高利貸しを行い利息を稼ぐ
光クラブは当時の「需要」と「供給」を上手く満たすことができたため上昇気流に乗ることができましたが、時代背景も味方してくれていました。
会社設立したときの時代背景
誰もがお金が必要な時代に、上手く法律をかわしながら商売ができた会社でした。
ポイントを説明します。
- ①戦後の復興で資金が早急に必要な企業が多かった
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戦後の混乱期、焼け野原となった敗戦国日本を立ち直らせるには資金が必要でした。
大きな企業だけでなく小さな商店もお金を必要としていました。
- ②銀行は貸し渋りや低金利
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敗戦後GHQ占領下にあった日本は、経済の自立を図るため財政金融引き締め政策を行います。
そのため小さな企業や商店はお金を借りたいのに借りられない状況に置かれていました。
- ③法を再整備するため貸金業に関する法律がちょうど失効していた
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光クラブは法律の間に設立された運が良い会社でした。
1946年貸金業に対する規制が失効し、1949年貸金業規制法が新設されますが、その間である1948年に光クラブを創設。
現在の「利息制限法」や「出資法」もまだない時代でした。
つまり、ヤミ金の高利貸し業者だったのに、法律違反はしていない会社だったのです。
光クラブのビジネスモデル
闇金・高利貸しの会社がなぜそんなに資金を集められたのかのポイントはこちら
何が必要とされているのか、金を集める方法、どのように儲けていくかを考えられる頭脳を持っていた山崎だからこそできたビジネスでした。ポイントを詳しくみていきましょう。
- 当時は珍しい学生起業家だった
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現代でこそITビジネスを学生時代から立ち上げるベンチャーは珍しくありませんが、当時は珍しかったようです。
学ラン姿の東大生が公正証書を作成し貸金業を行う姿が当時話題になったそうです。
「銀行は貸してくれないが学生なら貸してくれるかも?」と資金繰りに悩んでいた借りる側は考えたのかもしれませんね。
- 目を引く広告を設置しスポンサーを集める
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実家が裕福だったとはいえ、貸し付ける資金はありませんでしたので金を集めます。
大きな看板を設置し広告を載せ人々の視線を集めたのです。
いまでこそ広告収益は当たり前ですが、戦後の復興期で建物が少なかった時代にインパクトのある広告を出せば出資者が現れると考えたのは先進的です。
- 資金を出したい金持ち・借りる当てのない債権者を利用
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GHQ占領下の金利政策により当時の銀行金利は年利1.83%。
銀行に預けていても儲からないため、お金持ちたちはどこに資金を置いて運用するか悩んでいました。
”年利18%。黙っていても儲かる”と出資を募り、小金持ちたちが出資者として殺到しました。
そして銀行から貸してもらえない小さな商店の店主や会社の代表などは、藁にもすがる思いで高利と分かっていながら借りてしまうのです。
- 返せない債権者には乱暴な取り立て
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10日に1割の利息で荒稼ぎし、回収には暴力団を動員。
返済できない債権者に対し、トラックで家を周り換金できそうな物品を奪っていきます。
商工ローンの元祖と言われ、会社設立から資金集めまでは先進的で優秀なビジネスマンという印象です。
実は自身満々で情がない傲慢なビジネスだったのです…。
のちに代表の山崎晃嗣は手記で債権者を見下していたことを綴っていました。
- 私の才能をもってすれば、バカな債権者どもをだますのはわけはない。
- 金づまりのご時世に株や現金を持っていながら、それでどうしてもうけていいか分からず、資産の運営を光クラブに任した債権者
- 10日1割の高利で借りれば払えぬと知りながら、ほかにどうにもできなくて借りに来る債務者
資金繰りに悩む人を助けたいなど慈悲の心はなかったみたい…
山崎晃嗣とは何者なのか
軍で受けた仕打ちにより性格が曲がったのは気の毒だが、そもそもサイコパス気質だった
光クラブのビジネスモデルを見てみても「人道的な考えを持っていなかった」ことは分かります。
どのような人生を山崎晃嗣は歩んでいたからそうなったのか、調べてみました。
生い立ち
医師の家系に生まれ恵まれた血筋で裕福だった
学徒出陣するまでの履歴を見てみましょう。
山崎晃嗣の経歴 | |
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名前 | 山崎 晃嗣(やまざき あきつぐ) ※明(あきら)の名で生まれたが幼少のうち山崎晃嗣と改名 |
生年月日 | 1923年1月23日 |
出身 | 千葉県木更津市 |
実家の家族構成 | 父:医者であり木更津市市長兼任の山崎直 母:渋沢家の血を引いていた・総子 ※兄弟の詳細は不明だが晃嗣は五男 |
学歴 | 旧制木更津中学 旧制第一高等学校 東京帝国大学法学部に入学 |
戦争に駆り出される前までは勉学に十分励む環境があり恵まれていたようです。
特殊な性格を形成した対人関係
山崎晃嗣がサイコパス気質となった理由の一端は、学徒出陣後の上官が最低だったから
学徒出陣後、北海道旭川市の舞台に配属され小尉として終戦を迎えました。
山崎晃嗣の性格形成に影響した軍でのエピソードを調べました。
- 上官の私的制裁で晃嗣の同級生を殺される事件があったが、口外することは許されず軍法会議が開かれなかった。
- 上官の命令で食糧隠匿に関与。晃嗣だけ誰かに密告され一人だけ横領罪で逮捕された。
- 取り調べで上官命令と言わずに庇ったため懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を一人で受ける。
- その取り調べの際、警察から虐待を受けた。
- 上官と事前に分け前を約束していたが、虐待を耐えてなで庇った上官は約束を守ることは無く裏切られた。
これだけ読むと晃嗣も可哀想な気がしてきた…
一連の事件により、晃嗣は陸軍上層部に対しての恨みや失望が募ります。
後の遺書にて「人間はもともと邪悪」と書かれており、戦時中の軍隊での悲惨な体験が性格形成に影響を及ぼしたことが分かります。
光クラブ摘発の理由
「物価統制令違反」で逮捕され出資者激減!膨れ上がる借金により破滅の道へ
話は光クラブを起業したあとに戻します。
有頂天になっていた光クラブをどのように摘発することができたのかを調べてみました。
光クラブは開業して3か月で現在の10億円にあたる1000万円もの資金を集めたあと、1949年には株式会社化し本社を東京銀座に構え、社員30人をかかる会社に発展していました。
「光クラブの貸金は違法ではないのか」?と次第に疑われるようになります。
そんな中1949年に「物価統制令違反」で逮捕。
頭の晃嗣は巧みな法律知識と口のうまさを活かし不起訴処分となります。
ただ、逮捕されたことで出資者の信用を失い光クラブへの出資金が急激に減ることになり、負債が膨れ上がるのでした。
暗躍した女スパイとは
有頂天だった晃嗣に鉄槌が下る。闇金業・光クラブの摘発は女秘書がスパイだったから可能だった
「物価統制令違反」で逮捕については法定外の高すぎる金利で貸し付けていた、というのが直接の容疑でした。
それを警察へ密告したのが、光クラブの秘書として潜入していた女スパイです。
晃嗣は結婚していたが「女はただの道具」としか思っておらず、たくさんいた愛人を大事にすることはありませんでした。
その中のひとりが京橋税務署の職員に密告したといわれています。
山崎晃嗣の自死とその影響
借金が膨らみ資金調達が上手くできなくなった。そのため自ら命を絶った。
業績を立て直すために社名を変更して再起にかけます。しかし成功せず経営は悪化するしかない状況になりました。
現在の価値で約36億円の負債を抱えこみ、最後の手段として株の空売りを試みます。
しかし、その切羽詰まった資金調達が上手くいくはずもなく債務を返済する前日の1949年11月24日に光クラブの一室で青酸カリを飲み服毒自殺をしました。
異常なまでに分刻みのスケジュールを管理していた晃嗣は、命が絶えるそのときまで筆を走らせ遺書を書いていたようです。
最期の最期まで時間を書き留めていた晃嗣はやっぱりサイコパス気質だったとおもう
さて、ここから虎に翼・美佐江の話に戻ります!
虎に翼・美佐江と山崎晃嗣の共通点
SNSでも美佐江が山崎晃嗣をモデルにしたのではないか、と噂されていました。その理由は主に3つ。
①実家の状況
実家が裕福で礼儀正しくて、端正な見た目が共通しています。
美佐江は大地主の娘です。
片岡凛さんが演じるからか、とても清潔感があり礼儀正しく描かれています。
ただ、その礼儀正しい容姿端麗な高校三年生が”何を考えているのかわからない”という表情をするところがちょっと怖いです。
光クラブの山崎もスリムで端正な見た目。育ちの良さがにじみ出るルックスを持っていたようです。
②頭の良さと性格
勉強に励む姿と冷徹な性格が似ている
美佐江は法曹界で活躍する寅子に憧れており、東京に進学してまで法律を学ぶ姿勢が描かれていました。
山崎は終戦後、東大復学し猛勉強に励みます。成績を上げるために分刻みのスケジュールを組んで生活していたほどです。
勉学をなにより優先させた二人の姿が共通しています。
③東京へ行く動機が似ている?
美佐江は法律の勉強だけで東京に行ったのではない可能性
まだ今のところ美佐江の東京での様子がドラマには出てきていませんが、法律の勉強だけなら東京でなくてもできます。
頂点を目指して東京大学を受験したところをみると、東大で法律の勉強をしたあとに、大きなことを企てているようにおもえます。
- 赤ミサンガ団を使い自分の手を汚すことをしなかった美佐江
- 暴力団を使って借金の取り立てをした山崎
自分の清潔なイメージを残しつつ実行するところがよく似ています。
虎に翼・美佐江の今後予想
東京に行った美佐江がこれからどうなるのか気になるところですが、演じている片岡凛さんのXにはこのような投稿が。
「では失礼致します。」の部分が、一旦勉学のためにストーリーにもしばらく出てこないという意味にも見えます。
そして8月6日にはこのような投稿も…。
赤ミサンガ引きちぎり事件に関連した投稿だとはおもいましたが、今後東京に出てからスッキリとするような「悪い企み」を匂わせているような気もします。
頭の良い美佐江が再びストーリーに登場するとき、東京で冷徹なビジネスマンになっている気がする…。
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まとめ
虎に翼の美佐江は光クラブ事件の山崎晃嗣をモデルにしているのか調べてみました。
- 光クラブは貸金業という名の高利貸し闇金だった
- 会社が軌道に乗りやすい時代背景
- 目を引く広告で出資者を募る
- 借りる当てのない債権者が続々と集まるが暴力団が取り立てていた
- 山崎晃嗣は裕福な出身だったが軍隊で酷い上官に仕打ちを受けサイコパス化した
- 光クラブは山崎晃嗣が大事にしなかった女が税務署員に内密した
- 山崎晃嗣と美佐江は生い立ち、頭の良さや性格が似ている。モデルにしたと言って間違いないのでは?
まだまだこれからの寅子と美佐江の登場があるのかに目が離せません!
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