本記事では、2005年4月25日に起こった福知山線脱線事故について紹介します。
福知山線脱線事故を起こした運転士は「高見隆二郎」という人物です。
高見隆二郎運転士の死因や顔写真の画像、両親の現在についても徹底解説します。
- 福知山線脱線事故の経緯や原因
- 高見隆二郎の顔写真画像と経歴
- 高見隆二郎の死因
- 高見隆二郎の両親の職業
- 高見隆二郎の兄弟
- 高見隆二郎の両親の現在
福知山線脱線事故の経緯・原因
2005年4月25日にJR宝塚線の電車がマンションの1階の駐車場に突っ込む大事故が発生しました!
主な経緯・原因を大きく4つにまとめました。
- 72メートルのオーバーランをしていた
- 精神的に追い詰められていた
- 運転士をクビになるかもしれないプレッシャーを感じていた
- 電車の遅延を取り戻すために制限速度をオーバーしていた
ここではこれらの4つについて詳しく解説していこうと思います!
①72メートルのオーバーラン
高見隆二郎さんは駅の停車位置から72メートルもずれるオーバーランをしていた。
実は、運転士の高見隆二郎さんは、福知山線脱線事故を起こす前に伊丹駅でミスをしていました。
電車は、駅のホームで停車する位置が決まっており、停止位置からずれることを「オーバーラン」と言います。
高見隆二郎さんが運転する電車は伊丹駅で停車するはずでしたが、減速せずに走り続けたそうです。
警告音が鳴ると同時に高見隆二郎さんは、電車のブレーキをかけました。
しかし、停止位置から大幅にずれてしまい、72メートルもオーバーランしてしまいます。
電車の停止位置が72メートルもずれることは、ほとんどありませんよね。
運転士の高見隆二郎さんが、かなり焦っていたのは間違いないでしょう。
②日々のストレスが大きかった
高見隆二郎さんは日々のストレスで精神的に追い詰めていた。
実は、高見隆二郎さんは過去にも、2回オーバーランをしていたのです。
当時のJR西日本では、遅延やオーバーランなどのミスをした運転士に対して「日勤教育」と呼ばれる懲罰的な研修をしていたそうです。
高見隆二郎さんは、その日勤教育を3回も受けていました。
親しい知人には、研修内容に愚痴をこぼしており「社訓を丸写しするだけで、意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌」と話していたとのこと。
高見隆二郎さんは、ミスをしたさいのペナルティにかなり苦しんでいたのでしょう。
③クビになるかもしれないプレッシャーがあった
運転士をやめさせられるかもしれないプレッシャーから、高見隆二郎さんはミスを隠そうとしていた。
日勤教育後に「次回(ミスを)やったら乗務員をやめます」という決意書を書かされていたことがわかっています。
高見隆二郎さんは、72メートルのオーバーランを報告されると運転士をクビにさせられるかもしれないと思ったのではないでしょうか?
高見隆二郎さんが運転する電車は、午前9時16分ごろに伊丹駅を出発。
この時点での電車の遅れは「約1分20秒」となっていました。
車掌が「次は尼崎」とアナウンスした直後、高見隆二郎さんから車掌に車内電話がかかってきます。
車内電話で高見隆二郎さんは、車掌に「まけてくへんか」と言いました。
本来、電車がオーバーランをしたさいは、距離を報告する必要があります。
しかし、高見隆二郎さんは伊丹駅で、72メートルオーバーランした距離を短く報告してほしいと車掌にお願いしたのです。
車掌は高見隆二郎さんに「だいぶ行ってるよ」と告げた直後、乗客が車掌室のドア叩き、電車が遅れていることに対して謝るようにクレームを入れました。
そのため、車掌は高見隆二郎さんとの車内通話を途中で切ってしまいます。
高見隆二郎さんは、72メートルのオーバーランを報告されるのではないかと、不安な状態で運転を続けました。
福知山線脱線事故直前の高見隆二郎さんは、運転に集中できないほど、精神的に追い詰められていたのではないでしょうか?
④制限速度を46キロオーバー
高見隆二郎さんは1分20秒の遅れを取り戻すために制限速度を46キロオーバーで走行していた。
約1分20秒の遅れを取り戻すため、高見隆二郎さんは電車の速度を上げていきます。
電車の制限速度を大幅に越えて、なんと126キロで走行していたのです。
本来であれば70キロほどで走行するのですが、高見隆二郎さんは制限速度を46キロオーバーで走行していました。
そして塚口駅と尼崎駅の途中にある大きなカーブの直前でブレーキをかけます。
しかし、減速しきらずに約116キロでカーブを曲がろとしますが脱線してしまい、福知山線脱線事故が起きてしまったのです。
運転士・高見隆二郎の画像・経歴
上記が高見隆二郎さんの顔写真画像です。
ここでは、高見隆二郎さんの経歴も紹介していきます。
- 名前:高見隆二郎(たかみりゅうじろう)
- 年齢:23歳(当時)
- 学歴:府立高校卒業
- 部活:バスケットボール
- 職業:運転士(JR西日本)
福知山線脱線事故を起こした高見隆二郎さんは、どのような人物だったのでしょうか?
中学時代の友人からは勉強ができ、優秀だったと取材で答えてくれています。
また、中学時代はバスケットボール部に所属しており、明るい性格でチームのムードメーカーだったようです。
高見隆二郎さんは、真面目で努力家な性格だったのでしょう。
ただ、経済的理由で府立高校を卒業後は、大学には進学せずにJR西日本へ就職。
運転士・高見隆二郎の死因
高見隆二郎さんの死因は、腹部強打による圧死です。
当時、福知山線脱線事故直後は運転士である高見隆二郎さんの報道が、ほとんどされませんでした。
これには多くの人が疑念をいだき、ネットを中心に高見隆二郎さんが生きているのではないかという噂が広まりました。
しかし、運転士の高見隆二郎さんの遺体は発見されており、腰と太ももが運転台と壁に挟まれた状態で、腹部強打による圧死と判明。
ニュースでも報道されたので、高見隆二郎さんが生きている可能性はないでしょう。
【福知山線脱線事故】高見隆二郎の両親は?
高見隆二郎さんの兄弟や両親の職業、現在についてまとめました。
- 父親の職業は建設関係の仕事
- 母親は専業主婦
- 兄と姉、弟の3人の兄弟がいる
- 両親の現在は不明
上記の4つについて詳しく解説していきます!
高見隆二郎の父親の職業は?
父親の仕事は、建設関係の仕事だとわかっています。
福知山線脱線事故直後は、ショックで仕事を休んでいたそうです。
ただ、過去に取材をしたさいには、仕事を再開していました。
高見隆二郎の母親の職業は?
ここでは、高見隆二郎さんの母親について紹介します。
福知山線脱線事故が起きた当時、高見隆二郎さんの母親は専業主婦をしていたようです。
しかし、過去に取材を受けたなどの情報はありませんでした。
高見隆二郎に兄弟はいるの?
高見隆二郎さんには兄と姉、弟の3人の兄弟がいます。
兄弟の学校や職業については、詳細な情報はありませんでした。
高見隆二郎さんは経済的理由で大学に進学をしていません。
そのため、高見隆二郎さんの兄弟も大学には進学していない可能性があります。
高見隆二郎の両親現在は?
高見隆二郎さんの両親は、現在61歳から66歳くらいの年齢だと考察できます。
福知山線脱線事故が起きたのは、今から18年前になります。
高見隆二郎さんの父親は18年前の2005年12月中旬に取材を受けており、関係者によると父親の年齢は40歳くらいだったようです。
おそらく母親も同じぐらいの年齢でしょう。
理由としては、事故当時の高見隆二郎さんの年齢は23歳だったので、母親が40歳だと17歳で出産したことになります。
17歳で出産は若すぎますよね!
それに高見隆二郎さんには兄と姉がいるので、両親は高校卒業後すぐに結婚、妊娠したと考察できます。
母親が高見隆二郎さんを妊娠したのは、早くても20歳くらいからだと思います。
そのため、父親が取材を受けた当時の年齢は、43歳から48歳前後だったのではないでしょうか?
また、当時の取材に父親は以下のように答えてくれています。
「まだ結論も出ていないし、結局ウチの子が今、全面的に悪いということになっているんですよ」
「事故を起こしたのは息子。ただ、今はまだ会社に対しても、遺族の方々に対しても、何もお話しできない。息子が悪いということで通ってるから。僕らが今、どうこう言う段階にない」
「運転士が夢でね。新幹線の運転士が最終的な夢だった。ウチは貧しいから大学まで行かせられなかったけど、本人も頑張ってたみたいやね」
引用:JR福知山線脱線事故アーカイブ
事故に関しては暗い様子だったようですが、高見隆二郎さんのことについては明るく話す場面があったようです。
高見隆二郎さんは、両親にとって自慢の息子さんだったのでしょう。
また、高見隆二郎さんの両親は福知山線脱線事故から5年後、大阪市の天満労働基準監督署に労災の申請しています。
2010年8月9日に労災認定されていることが判明。
これにはネット上で様々な意見がありました。
福知山線脱線事故は高見隆二郎さんの運転操作のミスにより、多くの死者や怪我人がでています。
そのため「加害者が労災認定されるのはおかしい」という意見もありました。
福知山線脱線事故から5年後に申請しているので、高見隆二郎さんの両親は労災申請することを躊躇していたのかもしれません。
両親としては企業側の懲罰的な日勤教育や安全対策を怠ったJR西日本の被害者の1人であると感じているのでしょう。
現在の両親について、他の情報はありませんでした。
関連記事
まとめ
本記事では、福知山線脱線事故の経歴や原因、高見隆二郎さんの両親の現在についても解説しました。
- 高見隆二郎さんは、電車の停車位置が72メートルもずれるオーバーランをしていた。
- 高見隆二郎さんは、運転士をやめさせられるかもしれないプレッシャーから精神的に追い詰められた。
- 高見隆二郎さんは、1分20秒の遅れを取り戻すために制限速度を46キロもオーバーして走行していた。
- 高見隆二郎さんの死因は、腹部強打による圧死。
- 高見隆二郎さんの父親は建設関係の仕事をしていた。
- 高見隆二郎さんの母親は専業主婦していた。
- 高見隆二郎さんには兄と姉、弟の3人の兄弟がいる。
- 高見隆二郎さんの両親は、現在61歳から66歳くらいの年齢の可能性が高い。
福知山線脱線事故が起きたのは、運転士の高見隆二郎さんが制限速度をオーバーしての運転が原因で間違いないでしょう。
しかし、高見隆二郎さんは遅延に対するペナルティーなどで、精神的に追い詰められていたと思います。
それゆえに制限速度をオーバーし、事故に繋がったのかもしれません。
また、高見隆二郎さんの両親については、現在の詳細な情報はありませんが、過去に取材を受けていました。
福知山線脱線事故では、多くの死傷者がでました。
今後は、このような事故が起きないことを願いたいですね。
コメント