ブギの女王として戦後の歌謡界をけん引する笠置シズ子は、「喜劇王」とうたわれるエノケンこと榎本健一にコメディエンヌとしての才能を見出され、演劇の世界へと踏み込んでいきます。
ドラマ「ブギウギ」のタナケンのモデル、エノケンについて解説します。
- エノケンと笠置シズ子の関係は?
- 【ブギウギ】棚橋健二のモデルがエンケンの理由
- エノケンのプロフィール
- エノケンは義足だった?
エノケンと笠置シズ子の関係は?
エノケンこと榎本健一は笠置シズ子の演技の師匠でした。
もともと大阪松竹少女歌劇団出身の笠置シズ子に喜劇女優としての才能を見出し、多くの作品で共演しています。
エノケンの出演作の多くには「歌うエノケン捕り物帳」「エノケン・笠置の極楽夫婦」などと主演を務めたエノケンの名前が冠されており、当時「喜劇王」とうたわれた榎本健一の人気の高さがうかがわれます。
笠置シズ子との舞台での初共演で会った「舞台は廻る」の折に笠置シズ子に言ったという言葉が以下のものです。
「君は歌手だから芝居はよくわからないだろうけども、君の芝居はツボが外れている。しかしそれがまた面白い効果を生んでいるので改める必要はない。僕は君がどんなにツボを外しても、どこからでも受けてやるから、どこからでも外したままで突っ込んで来い」
榎本健一と笠置シズ子が共演した舞台は映画化もされています。
【ブギウギ】棚橋健二のモデルがエンケンの理由
ドラマ【ブギウギ】に出てくる「タナケン」こと棚橋健二が、榎本健一をモデルとしていると思われるのは、共通点の多さです。
- 「喜劇王」と呼ばれている
- ヒロインの演劇の共演者であり師匠
- 名字と名前の頭の2字ずつをくっつけたニックネーム
これだけ重要な部分が「タナケン」と共通しているのは「エノケン」こと榎本健一さんだけです。
むしろ他の候補を見つける方が難しいと言えるでしょう
エノケンのプロフィール
- 生年月日:1904年10月11日(享年65歳)
- 出身地:東京府東京市赤坂区青山(現東京都港区青山)
- 職業:喜劇俳優・歌手
榎本健一は家族の縁に薄い人物です。
幼少期に母を亡くし、引き取られた母方の祖母も亡くしています。
また、自身が結婚してもうけた子供のうち長男が夭折しました。
関東大震災の前から浅草オペラなどで活躍し、ミュージカル風の喜劇映画で戦前から人気を博していました。
笠置シズ子と舞台で共演するようになったのは戦後です。
長年の飲酒で肝臓を患いながらも、晩年まで活躍をつづけました。
1969年の年末にはかなり容態が重かったようですが「病院で年を越すのは嫌だ」と主張し、1970年の元旦に激しく体調を崩して日大病院に緊急入院。
3日後の1月4日に肝硬変で亡くなりました。
最期の言葉は「ドラが鳴ってるよ、早くいかなきゃ」だったそうです。
新しい舞台のドラだったのか、船出のドラか…
エノケンは義足だった?
榎本健一は1962年、57歳の時に右足を大腿部から切り落としています。
かつて舞台で負った傷で発病した脱疽の再発が原因でした。
脱疽:血液の流れが悪いために組織が死んで黒変してしまう症状
この大腿部切断という処置に先んじて1957年にまだ26歳だった長男を失っていたこともあり、榎本健一は自殺未遂を繰り返しますが、妻の献身的な看護と病床を訪れたアメリカの喜劇王ハロルド・ロイドの励ましにより生きる気力を取り戻しました。
その後は精巧な義足を5本以上も役に合わせて使い分け、見事な復活を果たしています。
関連記事
まとめ
- 「タナケン」のモデルは「エノケン」
- エノケンこと榎本健一は喜劇王と呼ばれた
- 57歳の時に右足を大腿部から切断
- 晩年は義足を使い分けて活躍した
コメント