【虎に翼】汐見圭は、多岐川幸四郎を支え、家庭裁判所の設立に尽力したおだやかなで優しい人物ですね。
汐見圭のモデルは、家庭裁判所設立準備室の責任者だった市川四郎さんです。
市川四郎さんの妻は、富山の名家出身の女性です。
- 【虎に翼】汐見圭のモデルは市川四郎
- 家庭裁判所設立準備室の責任者は市川四郎だった
- 市川四郎の経歴
- 市川四郎の妻は富山の名家の娘
- 【虎に翼】の汐見圭との違い
- ドラマの汐見の今後は?
これらについてみていきましょう。
【虎に翼】汐見圭のモデルは市川四郎
【虎に翼】では、多岐川がしばしば居眠りする場面がありましたが、宇田川潤四郎さんも細かなことを決める話し合いになると眠ってしまっていて、市川四郎さんはそれを妙技という言葉で表す優しい人だったということです。
家庭裁判所設立準備室の責任者は市川四郎だった
【虎に翼】で家庭裁判所設立準備室長の多岐川幸四郎のモデルである、宇田川潤四郎さんは、設立準備の段階では関わっていなくて、家庭裁判所ができた1949年1月1に家庭局長となったのです。
家庭局長として、家庭裁判所をうまく機能させていくことに尽力、家庭裁判所の父と呼ばれたのです。
急遽抜擢された市川四郎さんは、事務処理能力が高く、人と人をうまく調整していく能力が素晴らしかったといいます。
全国に家庭裁判所を作るのは莫大な世損が必要なのに大蔵省からの予算はなく、GHQからも予算は日本政府の責任と言われていました。
しかし、GHQから最低限の予算を出してみてと言われた市川四郎さんは、逆に、思い切って予算を提出したところ、満額認められて驚いたということがありました。
日本とアメリカの予算規模の違いということだったのでしょうか。
市川四郎の経歴
寅子のモデル三淵嘉子さんは1913年生まれなので、5歳年上ということですね。
家庭裁判所準備室の前は、東京家事審判所勤務でした。
家庭裁判所が発足し、東京家庭裁判所の家事担当の第一・第二課長となりました。
この時、家事担当事務官だったのか寅子のモデル三淵嘉子さんでした。
市川四郎さんは「家庭裁判月報第5号」で、家庭裁判所の目指すものについて書いています。
医務室だけでなく、夫の虐待から逃れて家庭裁判所に駆け込んだ母子を一時保護する宿泊施設や、慰謝料等を当事者の代わりに受け取って保管する金庫のような施設など充実させなければ、理想的な活動はできないと思うと書いています。
家庭の病院といえる施設を完備しなければいけないといいました。
明るく誰でも気軽に入れる庁舎、診断に間違いのない裁判官、熱心で親切な職員が充実し、いろんな施設が完備した家庭裁判所を思い浮かべると、ほのぼのとしたあたたかさとと清らかな明るさを感じるということです。
東京家庭裁判所長ほか、全国の家庭裁判所の所長を歴任し、1972年12月15日 ~1974年12月16日、東京高等裁判所長官も務めていています。
この東京高等裁判所長官時代の1974年10月29日の午後、東京高等裁判所長官室と東京高等裁判所事務局長室に暴漢が乱入するという事件が発生しました。
事務局長は暴力を受けましたが、長官である市川四郎さんは無事に脱出することができました。
市川四郎の妻は富山の名家の娘
島田七郎衛門さんは、町議会議員、県議会議員を経て衆議院議員を2期務めています。
町長としては、大正と戦後の4回にわたって合計20年で、1962年に現職のまま亡くなりました。
【虎に翼】の汐見圭と妻香子については⇩
【虎に翼】の汐見圭との違い
市川四郎さんと汐見の大きな違いは、家庭裁判所準備室の責任者だったというところです。
多岐川のモデルの宇田川潤四郎さんは、家庭裁判所ができてから家庭局長に就任して、家庭裁判所の普及に力を入れています。
前述のとおり、汐見の妻は寅子の仲間の崔香淑(香子)で、実際は地方の名士の娘でした。
ドラマと同じくように家庭局は、和気あいあいと立場や性別関係なく意見交換ができる場所だったといいます。
時には市川四郎さんがウィスキーを差し入れて、飲みながら話すこともありました。
多岐川がスルメを焼いていたのも、事実に基づいているのかもしれません。
ドラマの汐見の今後は?
それぞれ親に感動されての結婚で、香子は、寅子たちとも縁を切って日本人の香子として生きる決意をしているようです。
この先、寅子たちと笑顔で話せる日が来ればいいなと思います。
汐見が長く話すと、ところどころになまりがあります。
地方出身者は普段、共通語を話しているものの、長く話すとなまりが出てしまうことがあります。
その感じが、絶妙にうまいなあと感じました。
最初はどこのなまりかわからなかったのですが、Xで盛岡ではというポストをみて聞き直したところ、確かに盛岡弁のイントネーションのように感じました。
クレジットに盛岡ことば言葉指導とあったので、間違いないですね。
故郷や両親が登場するのではないでしょうか。
これは、盛岡出身の汐見が、子どもが生まれあと両親と和解することができる未来への伏線でしょうか。
または、地元の家庭裁判所に赴任して、両親との確執があるのでしょうか。
寅子の裁判官としての成長とともに、汐見と香子のこれからも描かれていくことでしょう。
少しでも明るい未来があるといいですね。
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まとめ
【虎に翼】汐見圭のモデルは家庭裁判所を作った市川四郎で、妻は名家の娘であることなどまとめました。
- 【虎に翼】汐見圭のモデルは市川四郎です。
- 家庭裁判所設立準備室の責任者は市川四郎でした。
- 多岐川幸四郎のモデル宇田川潤四郎は、家庭裁判所の設立には関わっていなくて、開設後に家庭局長となり、家庭裁判所を盛り立てました。
- 市川四郎の経歴は、詳しいことはわかっていませんが1909年生まれで、東京家庭裁判所、各地方の家庭裁判所長、東京高等裁判所長官を務めました。
- 市川四郎の妻は富山の名家の娘でした。
- 父親は国会議員や、町長を務めていました。
- 【虎に翼】の汐見圭との違いは、家庭裁判所準備室の責任者だったこと、妻、お酒を飲めたことです。
- ドラマの汐見の今後は、なまりがあることから故郷や両親が登場するのではないでしょうか。
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