この記事はこの先のネタバレを含んでいます。
【虎に翼】裁判官編の物語が進み、家庭裁判所の設立を成し遂げ、裁判官の道を歩き始めた寅子です。
ヒロイン寅子の母はるさんは、この後、亡くなってしまいます。
はるさんが病死する原因は何だったのでしょう。
残した日記の内容が貯蓄計画だったということなど、ネタバレ解説します。
この記事で分かること
- はるの病死の原因は?
- はるが病死する経緯
- はるが残したかった日記の内容は貯蓄計画だった
- はるの日記は手帳で父を救った過去
これらを解説していきます。
目次
はるの病死の原因は?
はるが病死した原因は、往診した医師によると心臓発作ではないかと言われますが、病院で詳しい検査を受けることもなく亡くなってしまいます。
医師が、病院にという話もしていないので、もう無理だということなのでしょうか。
はるの年齢がわかる描写はこれまでなかったのですが、寅子の兄の年齢から推測すると、まだ60歳程度と考えられます。
1948年寅子34歳、兄は生きていれば39歳なので、当時の結婚年齢から考えて、兄を生んだのは20歳ぐらいと考えたからです。
現在で考えると60歳で心臓発作で亡くなるということはあまりないと思われますが、戦争中は栄養状態も悪かったし、心労も続き、心臓が弱っていたということでしょう。
また、今のような健康診断を受けることもなかったので、実は病気があったのかもしれません。
はるが病死する経緯
はるは、家で、つるしてあった干し柿をとろうとして、胸をおさえて倒れ、その後はあっという間に亡くなってしまったのです。
家庭裁判所ができて、判事補兼事務官となった寅子は、街にあふれていた戦災孤児の問題に取り組むことなりました。
ひょんなことから孤児の1人道男を家に連れ帰り、はるが快く受け入れて、泊めることになりました。
かなり荒れていた道男が、はるに心を開いて優しくなっていったのですが、家を飛び出してしまったのです。
そんな時に、はるが倒れました。
死期を悟ったはるは、あと10年は頑張るつもりだっかけどしあわせだと、悔いがないといいます。
道男にもう一度会いたいに違いないと、寅子は探し回ります。
はるは、直道の名前を決める時、道男という名前も候補だったため、直明に重ねていた部分もあったのでした。
やっと会えた道男を抱きしめて、はるは、これがしてあげたかったことだと言います。
そして、夫の直言と息子の直明の写真を抱きしめて、寅子と花江になら家を任せられると言い残して、帰らぬ人となったのです。
道男にはるの思いは通じて、しっかりと生きて行くことでしょう。
はるが残したかった日記の内容は貯蓄計画だった
はるは、日記代わりの手帳は1枚を残して捨てるよう遺言していたのですが、その1枚というのが今後10年の貯蓄計画でした。
子ども達の将来のための計画です。
これからかかるだろう子ども達の学費や、新聞で調べた裁判官の給料の金額やボーナスの額を記載していました。
10年間の予想なので、寅子の出世や、昇給するであろうことまで考えていて、寅子は苦笑してしまいます。
10年は頑張れると思っていたという、しっかりしたはるらしいですね。
はるの日記は手帳で父を救った過去
父の直言が共亜事件で逮捕された時、父を救ったのが母の日記代わりの手帳でした。
はるは、結婚以来ずっと、主婦之手帖に毎日の出来事を記録していました。
検察から出された賄賂の受け渡し等のあった日と、はるの手帳の記録を合わせると、違いがたくさん見つかります。
はるの日記の記述を裏付けるような、他の証拠もたくさん集めたことで、無実の証明への道が開けたのです。
検察が家宅捜索に入った時、一瞬はるの主婦之手帖を目にとめたものの、押収していきませんでした。
女性が書いたものなんてと、甘く見ていたのでしょう。
この手帳は、現在まで続いて発売されている、婦人之社のDiary for simple life (主婦日記)と言われています。
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まとめ
【虎に翼】寅子の母はるさんが病死した原因や、残した日記の内容が貯蓄計画だったことなど、ネタバレ解説します。
- はるの病死の原因は、往診した医師によると心臓発作ではないかと言われました。
- 寅子が戦災孤児の道男を家に連れてきて、はるが面倒を見て、心を開いた矢先に、道男はいなくなりました。
- そんな時にはるは倒れ、やっと道男を連れてきた後、はるは亡くなります。
- 花江と寅子に家を任せるのは安心だと言い残し、直言と直道の写真を抱いていました。
- 一枚を残して、はるは日記を捨てるよう遺言していました。
- はるが残したかった日記の内容は10年間の貯蓄計画でした。
- はるの日記は、共亜事件の際に、父の無実を証明するきっかけとなった過去があります。
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