朝ドラ【ブギウギ】ヒロイン福来スズ子は歌手引退を決意して、周囲を驚かせました。
福来スズ子のモデルとなった笠置シヅ子さんが42歳で歌手を引退し、その後の女優としての活躍について調べました。
- 笠置シヅ子が42歳で引退を決意したのはなぜ?
- 笠置シヅ子歌手引退後は?
- 笠置シヅ子歌手引退後は女優
- 笠置シヅ子バラエティーでも活躍
- 笠置シヅ子CMでも人気
これらについてみていきましょう。
笠置シヅ子が42歳で引退を決意したのはなぜ?
太ってきたのは動けていないからだというのです。
ブギウギを観ていて、辞める理由がピンとこなかったのは、趣里さんがスリムだからかもしれません。
このドラマのために少しふっくらさせたのだろうなと思ってはいましたが、それでもまだスリムですね。
あとを追いかけてくる新しいスターたちの若さには勝てないから、限界が近いことを悟って、その前に惜しまれながら、スパッとやめてしまう、潔さがかっこいいですね。
年輪を重ねた味のある歌も聞いてみたい気がするのですが、笠置シヅ子さんの歌はアップテンポの歌って踊る曲ばかりなので、それは考えられなかったのでしょう。
ドラマでは羽鳥善一に相談して反対されたままの引退発表でしたが、実際の笠置シヅ子さんは、服部良一さんはもちろん、誰にも相談することなく引退宣言しました。
引退宣言後、新宿コマ・スタジアムでのステージ「くるくるパレード」のロックンロールが最後の曲になりました。
笠置シヅ子さんが亡くなった時、服部良一さんは、見事な引き際だったと手記に書いていますが、当時はコメントも出していませんでした。
服部良一さんの息子、作曲家の服部克久さんによると、ドラマの羽鳥善一のように怒っていたそうです。
笠置シヅ子さんのために書いたブギですが、それは彼女一人のものではないと、作曲家は歌手が歌ってくれなければ、作った歌がこの世から消えてしまうから、歌手は声が出るうちは歌い続けないといけないと、服部克久さんが言っています。
引退後は、鼻歌さえ歌っていなかったという笠置シヅ子さんですが、義理堅い笠置シヅ子さんは、1960年の服部良一銀婚式記念シルバーコンサートでは歌いました。
何を歌ったのかはわからないのですが、その後、懐メロの番組から何度もオファーがありましたが、みんなの心に残ってくれたらいいと、受けることはありませんでした。
笠置シヅ子歌手引退後は?
まだ10歳だった娘を一人でしっかり育てて行かなければという思いもありました。
女優としてはまだ駆け出しだから、歌手の時のような高いギャラはいらないと、ギャラの値下げを自分から申し出ていました。
自分で値下げを申し出るタレントは見たことがないと評判になったといいます。
また、歌手の時は笠置シズ子でしたが、歌手引退後は女優笠置シヅ子と改名して活動していました。
過去の栄光や人気にすがることのない、常に前向きで、はつらつとしていて、笠置シヅ子さんらしい決断でした。
笠置シヅ子歌手引退後は女優
土曜の昼に放送されていた「台風家族」は、1960年から1964年まで続きました。
笠置シヅ子さんが演じる、口はわるいけど愛情にあふれるた太鼓焼屋のおかみさんが中心のホームドラマでした。
水戸黄門にも出演していました。
ある人に「上手いこと看板を塗り替えてズルい」と言われたと、笠置シヅ子さんは晩年に、ユーモアを交えて雑誌の手記に書いています。
その後には、「お母さん女優がすっかり板についてる、案外やるじゃないの」と同じ人から言われ、ムズムズしていると書いていましたが、そんなことを面と向かって言うのは淡谷のり子さんしかいないと思われます。
ブギウギを観ていると想像できる、クスッと笑える良い話ですね。
笠置シヅ子バラエティーでも活躍
家族そろって歌合戦は、一般の家族3人一組で出場し、1回戦は家族3人で、2回戦は代表者1人、決勝はまた3人で歌います。
優しいおばあちゃんという印象が残っています。
笠置シヅ子CMでも人気
写真を見ると、覚えてます。
ちなみに私は、現在フキンソープ使ってます。
本当にやさしそうな、おばあちゃん‥
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まとめ
福来スズ子(笠置シヅ子)は42歳で引退を決意して、引退後は女優として活躍しました。
- 笠置シヅ子さんは、もっとも輝いた時代をそのまま残しておきたいと、42歳で引退を決意しました。
- 歌手引退後は、鼻歌さえ歌わず、懐メロ番組への出演も断り続けていました。
- 引退後は女優として活躍、大阪のおばちゃんキャラで、お母さん役で人気となりました。
- 家族そろって歌合戦の審査員やカネヨ石鹸のCMでも大人気でした。
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