日本初の女性弁護士という素晴らしい経歴の三淵嘉子さん。
実は、彼女の両親や夫の経歴もすごいことが判明しました!
本記事では、三淵嘉子さんの両親や子供について紹介します。
また、三淵嘉子さんは元夫と死別しますが、裁判官の男性と再婚します。
再婚相手の家系図や経歴についても合わせて見ていきましょう。
この記事でわかること
- 三淵嘉子さんの家系図
- 三淵嘉子さんの両親について
- 三淵嘉子さんの夫について
- 三淵嘉子さんの子孫について
目次
三淵嘉子の家系図
上記の画像が三淵嘉子さんの家系図です。
嘉子さんは武藤家の長女として生まれ、のちに和田芳夫と結婚。
しかし、夫の和田芳夫とは死別してしまい、裁判官である三淵乾太郎さんと再婚します。
三淵嘉子の両親
三淵嘉子さんが日本初の女性弁護士になれた理由の1つは、御両親の教育であることは間違いありません。
ここからは、三淵嘉子さんの両親がどんな人物だったのか解説します。
父親:武藤貞雄
三淵嘉子さんの父親は、武藤貞雄さんです。
貞雄さんは武藤ノブさんと結婚し、武藤家に婿入りします。
彼は、台湾銀行に勤務しており、シンガポールやニューヨークで勤務し、日本に帰国しています。
ちなみに長女の嘉子さんが生まれた場所は日本ではなく、シンガポールです。
父親の貞雄さんは、男女尊卑の考えを持っていない人物でした。
当時の日本では、女性は家庭に入るべきという考え方が当たり前でした。
しかし、父親の貞雄さんは幼い嘉子さんに以下のように語っていたそうです。
「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな、男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ、それには何か専門の仕事をもつ為の勉強をしなさい。医者になるか弁護士になるか」
引用:明治大学公式サイト
三淵嘉子さんが日本初の女性弁護士になれたのは、間違いなく父親である貞雄さんの影響だと言えるでしょう。
三淵嘉子さんの父親は、柔軟な考えをした人物なんだね!
父親についてはことらもどうぞ↓↓
母親:武藤ノブ
三淵嘉子さんの母親は、武藤ノブさんです。
嘉子さんの母親は、女性は結婚して家庭を守るべきと父親の貞雄さんと逆の考え方だったようです。
三淵嘉子さんが弁護士を目指すために明治大学法学部に進学しようとしたさいには「嫁にいけない!」と猛反対したとのこと。
三淵嘉子の旦那
三淵嘉子さんは、2回結婚しているので2人の夫がいます。
ここからは三淵嘉子さんの夫について紹介していきます。
三淵嘉子さんの夫は以下の2人です。
それでは、三淵嘉子さんの夫について詳しく見ていきましょう!
元夫の和田芳夫とは死別
三淵嘉子さんの1人目の夫である、和田芳夫さんとは死別しています。
三淵嘉子さんは、弁護士になった1年後に和田芳夫さんと結婚しました。
ところが戦争中だったため、和田芳夫さんは徴兵され、1946年に戦病死してしまうのです。
そのため、三淵嘉子さんは夫の和田芳夫さんと死別してしまいました。
裁判官の三淵乾太郎と再婚!
1956年に三淵嘉子さんは、裁判官の三淵乾太郎さんと再婚します。
実は、三淵乾太郎さんも三淵嘉子さんと同じように死別でパートナーを失っていたのです。
似たような境遇だったからお互い惹かれあったのかもしれないね。
三淵嘉子の子供
裁判官と弁護士として活躍されていた2人には、死別したパートナーとの子供がいたのです。
ここからは、三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんの子供について紹介します。
三淵嘉子の息子
三淵嘉子さんと前の夫である和田芳夫さんの間には、芳武と言う息子がいました。
息子である芳武さんは、3歳の時に父親である和田芳夫さんが戦病死しています。
ドラマの子どもについてはこちら⇩
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三淵乾太郎の連れ子
三淵嘉子さんの再婚相手である三淵乾太郎さんには、4人の連れ子がいました。
別の記事で三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんの子供について詳しく解説しています。
合わせて読んでみてください。
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まとめ
本記事では、日本初の女性弁護士である三淵嘉子さんの家系図を作成し、両親や夫、子供についてくわしく紹介しました。
以下が本記事のまとめになります。
本記事のまとめ
- 三淵嘉子さんの両親は、武藤貞雄さんと武藤ノブさんです。
- 三淵嘉子さんの元夫である、和田芳夫さんとは死別しています。
- 1956年に三淵嘉子さんは、裁判官の三淵乾太郎さんと再婚します。
- 三淵嘉子さんと前の夫である和田芳夫さんの間には、芳武と言う息子がいました。
- 三淵嘉子さん再婚相手である三淵乾太郎さんには、5人の連れ子がいました。
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