この記事にはドラマの今後のネタバレを一部含みます!
【虎に翼】花岡悟にはモデルがいるのか、とても気になりますね。
裁判官だった山口良忠さんがモデルらしいといということがわかりました。
三淵嘉子さんとの意外な関係も発見しました。
物語の今後とともに解説します。
- 【虎に翼】花岡悟のモデルは山口良忠?
- 【虎に翼】山口良忠はどんな人物だったのか?
- 【虎に翼】山口良忠と三淵嘉子に関係はあったのか?
- 【虎に翼】花岡悟と山口良忠との違いは?
- 【虎に翼】花岡悟の今後はどうなる?
これらについてみていきましょう。
【虎に翼】花岡悟のモデルは山口良忠?
山口良忠さんは出身地は花岡悟と同じ佐賀県ですが、明治大学出身でもなく、学生時代のエピソードも、学生時代の三淵嘉子さんとの接点もありません。
裁判官になってからの、餓死にまつわるエピソードの部分をモデルとして、その前の、学生時代につてはオリジナルのキャラクターのようです。
今後ドラマの花岡も同様に餓死するのか確認した記事はコチラです。
↓↓
【虎に翼】山口良忠はどんな人物だったのか?
山口良忠さんとはどんな人物だったのか、経歴を紹介します。
山口良忠さんは、1913年(大正2年)佐賀県杵島郡白石町で、小学校教師の父の長男として生まれました。
旧制佐賀高等学校から京都帝国大学、大学院に進み、高等文官試験司法科に合格し、判事(裁判官)となりました。
1946年、東京区裁判所の経済事犯専任判事となり、主に闇米等を所持して食糧管理法違反で検挙、起訴された事件を担当していたといいます。
配給された食糧以外の、違法である闇米を食べなければ生きていくことがでいないのに、それを取り締まっている自分が闇米を食べていていいのかという思いから、1946年10月初め頃から闇米を拒否するようになりました。
山口良忠さんの妻によると、判事として正しい裁判をしたいと言い、後ろ暗いところがあったなら自信がもてないと、倒れるかもしれないし、死ぬかもしれないけれど、良心をごまかしていくよりはいいという強い決意があったことがわかります。
配給されたもののほとんどを2人の子供に与えて、自分達夫婦はほとんど汁だけのような粥をすするなどしていたといいます。
自宅でイモを栽培するなどもしていましたが、栄養失調が原因と思われる病気が現れてきました。
しかし、担当している被告人100人を未決で待たせておくわけにはいかないと、療養もせずいましたが、1947年9月1日に最後の判決を書いた後に、佐賀の故郷に帰り帰郷し療養しましたが、すでに遅く、10月11日に栄養失調に伴う肺結核により33歳で亡くなりました。
山口良忠さんの死は、11月4日に朝日新聞で報道されて話題になりました。
自分に厳しい態度を見て、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しても厳しかったと言う者もいましたが、そうではなくて、むしろ同情的で、情状を考慮した判決を下すことが多かったということです。
人に優しく、自分に厳しい人だったのですね。
食糧管理法自体が無理なものではないかという主張が現れるようになりました。
裁判官の地位が低いのも問題点だとして、裁判官の給与の増額にもつながったということです。
山口良忠餓死の影響は?
法律の世界だけなく、日本中に衝撃が広まりました。
日本だけでなく、アメリカのニュースでも取り上げられるほどでした。
インフレが続き、当時の判事と検事の給料は安くて生活が苦しく、山口良忠さんのように法を守ろうとしなくても、闇地で食料を買うことはできなかったといいます。
山口良忠さんの他にも、栄養失調から病気になる人はいて、それが原因で亡くなる人もいました。
GHQのマッカーサー元帥は山口良忠さんの行いは裁判官として当然の義務をでしたが、残念だと言い、裁判官の給与の改善を指示していました。
山口良忠さんの死は、食糧難の時代に「食糧管理法」は必要な法律なのか、その法律をを守ったら死んでしまうような法律は正しいのかというという難しい問題を投げかけました。
山口良忠の妻は個展を開く
もともと絵を描いていた山口良忠さんの妻の矩子さんは、1952年に絵画の個展を開き、20点の展示作品の中の8点を最高裁判所が買い上げました。
当時の最高裁人事課長らが中心となって公費で購入したということです。
当時の最高裁人事課長は、ドラマの桂場統一郎のモデルとなったと言われている石田和外さんです。
この点も史実どおりですね。
しかし、ドラマでは公費ではなく、有志で弔いもかねてと、絵を買っています。
また、実際には1952年と亡くなって5年後でしたが、ドラマでは1年後です。
山口良忠の長男の言葉
1982年に出版された「われ判事の職にあり」に掲載された長男の言葉は、一個の法律と一方的に心中してしまった自己陶酔型の利己主義者と、父を痛烈に批判しています。
父に死なれた母の苦労をみてきた長男の思いです。
死ぬことより生きることの方が難しかったといいます。
「お父さんはえらいひとだったのに」と父と比べられることも多かったようです。
家族でないとわからない思いがあるのですね。
【虎に翼】山口良忠と三淵嘉子に関係はあったのか?
山口良忠さんの死のニュースに衝撃を受けた、当時『暮しの手帖』編集代表であった大橋鎮子(朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデル)が、自宅でとれた卵40個~50個を最高裁判所に届けました。
なんとその時の最高裁判所長官が三上忠彦さんで、後に三淵嘉子さんが再婚した三淵乾太郎さんの父だったというのです。
その時の卵は、当時病気で休んでいた裁判官たちに配られて、命を救ったと言われています。
1947年は、三淵嘉子さんが裁判官採用願を提出した頃です。
司法省で働いていた当時、三淵忠彦さんの仕事を手伝っていたことあったそうなので、もしかしてこの時もそばにいた可能性があります。
【虎に翼】花岡悟と山口良忠との違いは?
山口良忠さんの学生時代のことは何もわからないので、虎に翼の花岡悟は、ほとんどオリジナルキャラクターと言えます。
帝大に対するコンプレックスも、父の事務所を継ぐ、ということも山口良忠さんにはなかったことです。
京都帝大では、女子学生と学ぶこともありませんでした。
【虎に翼】花岡悟の今後はどうなる?
花岡悟が今後どうなるのか、特に寅子との関係が気になりますよね。
花岡自身は気がついていないようでしたが、「猪爪さんのことばかり考える」は、はっきり言って告白です!
今どきのドラマと違ってなかなか進展しない2人は、最終学年になり、高等文化試験法科を受験し、花岡は合格、裁判官になるため桂場のもと修習に努めます。
寅子は、弁護士事務所で働きながら次の試験を目指します。
次の試験では寅子も合格します。
修習期間も終わり晴れて裁判官となった花岡と寅子は2人だけでお祝いをし、周りもきっとプロポーズだと思っていたのですが、その言葉はなく、勤務地佐賀に旅立ってしまいます。
その後、偶然再会した時、花岡の隣にはきれいな女性がいて、婚約者だと紹介します。
花岡は、奥さんには家にてほしいという気持ちは変えられなったのです。
そして、これまで必死で頑張って弁護士になった寅子に、そんなことは言えなかったのですね。
寅子は誰でもいいから、社会的信用を得るための結婚を望みますが、愛する人と一緒にになってほしいと身を引いていた優三がプロポーズします。
最初は形だけだったはずが、寅子は優三に徐々に惹かれて行くのでした。
当たり前です、視聴者はずっと優三の優しさと頼もしさを感じていました。
初恋は実らず、実はずっとそばにいた人と結婚する、朝ドラあるあるです。
そして、これで花岡は出て来ないのかと思ったのですが、戦後、寅子が裁判官になりたいと思っている時に再会し、励まされます。
その後、花岡の訃報を知るのでした。
闇で売られているものは食べずに栄養失調で亡くなったことを知り、ショックを受けながらも、花岡が守ろうとしたものを守ろうと思うのでした。
花岡が早く出なくなることは、26日あさイチの岩田剛典さんの金髪を見て、みんな気づきましたね。
詳しい詳細はコチラ
↓↓↓
関連記事
まとめ
【虎に翼】花岡悟のモデルは山口良忠であること、花岡悟の今後のネタバレ、三淵嘉子との意外な関係もあることを解説します。
- 【虎に翼】花岡悟のモデルは一部山口良忠さんと思われるところがあります。
- 【虎に翼】山口良忠は、京都帝大卒の裁判官で、食管法違反の被告を裁く人が違反していてはいけないと、闇の食べ物を口にせず、栄養失調からの病気により亡くなりました。
- 【虎に翼】山口良忠と三淵嘉子は、直接会ってはいないものの、ちょっとした関りがありました。
- 【虎に翼】花岡悟と山口良忠との違いは、父の職業が山口良忠さんは教師で花岡悟は弁護士、大学が山口良忠さんは京都帝大で花岡悟は明律大学(帝大に落ちた)ということが一番大きく、山口良忠さん学生のについてはほとんどわからないので、花岡悟はほとんどオリジナルキャラクターです。
- 【虎に翼】花岡悟は今後、寅子といい感じになりますが結ばれることはありません。
- 【虎に翼】裁判官になりますが、戦後の食糧難で、闇の食品を食べなかったため餓死してしまいます。
コメント