この記事は、この先のネタバレを含んでいます。
【虎に翼】ヒロイン寅子とともに日本初の女性弁護士となった久保田聡子のモデルは中田正子だと思われます。
中田正子さんの経歴等の実話を調べました。
この記事で分かること
- 久保田聡子のモデルは中田正子!
- 中田正子の経歴
- ドラマとの違い
このことについて徹底解説します。
目次
久保田聡子のモデルは中田正子!
【虎に翼】久保田聡子のモデルは、日本初の女性弁護士の一人、中田正子さんです。
中田正子さんは、昭和12年に論述試験に合格しながら口述試験に落ちて、昭和13年三淵嘉子さん、久米愛さんとともに合格しました。
このエピソードから、久保田聡子のモデルは中田正子だとわかります。
中田正子さんの口述試験を担当した試験官は後日、酔って「生意気だったから落とした」と言っていたという話があります。
また、ある男性弁護士は、雑誌に寄稿して、女弁護士は事件解決に必要な男性的気力を欠いているのではないか? 女性弁護士では依頼者が頼りないと思うのではないかと書いていて、中田正子さんの合格にケチをつけているようでした。
実際、ドラマでも寅子にはなかなか依頼がなかったですが‥
真偽はわかりませんが、現代ではあってはならないことですが、昔は普通にあったのですね。
ドラマでも、久保田は口述試験にしっかり答えられたと思ったのに、今後結婚の予定があるかと尋ねられて、「その質問は試験に関係ないのではないか」と答えたと言っています。
それで落とされたのかは分かりませんが、合格のためには、自分を殺すことも必要なのかもしれないと話していました。
さらにこの先、夫の実家のある鳥取に移り住むことも、中田正子さんと同じです。
中田正子の経歴
- 旧姓/田中
- 生年月日/明治43年(1910年)12月1日
- 出身地/東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)
- 出身校/女子経済専門学校
・日本大学法文学部
・明治大学専門部女子部法科
・明治大学法学部
- 1937年高等文官司法科試験論述試験合格
- 1938年高等文官司法科試験口述試験合格
- 1939年中田吉雄氏と結婚
- 1940年弁護士試験合格
- 1945年鳥取市に弁護士事務所開業
- 鳥取県弁護士会会長/日本弁護士連合会理事(ともに女性初)を務めた
- 1974年紫綬褒章/1981年勲四等瑞宝章
- 2002年心不全のため鳥取市の病院で死去(91歳)
職業軍人だった父は、シェークスピアを原語で読むほどの勉強家で、中田正子さんもその影響で学び続けました。
女子経済専門学校で、新渡戸稲造、吉野作造、我妻栄等に学んだことが、中田正子さんが法律を学びたいと思うきっかけでした。
弁護士になりたいという強い思いがあったわけではなく、学問的興味から受験して合格したと、インタビューに答えていました。
弁護士としての活動の他に、雑誌『主婦之友』で、女性対象の法律相談を行い、毎月100通以上の相談が届いていたといいます。
1945年夫の結核療養のため、夫の実家のある鳥取に疎開し、そのまま鳥取で弁護士として活躍しました。
鳥取に移住した後、36歳で長女を出産、3人の母になっています。
法律上は平等でも、まだまだ実生活の中では、女性の地位は低いままだと、立場の弱い女性たちと戦い続けました。
夫は、県議会議員から参議院議員となっています。
子供たちが東京に住むようになっても、「鳥取には私を必要とする人がいる」と亡くなるまで鳥取で暮らしたということです。
ドラマとの違い
久保田は、中田正子さんをそのままモデルしたわけでないようです。
一度目の試験は口述で落ちて、2度目で合格したことと、夫の実家である鳥取に住むというエピソードのみがモデルとなっているように思います。
ドラマの久保田は、男性のような話し方をしていますが、実話では中田正子さんはそういう話はなくて、写真で見る限りとても女性らしく見えます。
ドラマでは初めて法廷に立った時には、結婚して懐妊中ということでしたが、実際の中田正子さんは鳥取に移り住んだ後に初めての出産をしています。
ドラマでは、鳥取に移り住む際に、弁護士もやめると思うと話しています。
実際には死ぬまで弁護士であり続けました。
もしかしたら、今後、久保田が鳥取で弁護士を再度始めるという展開があるのではないかと期待しています。
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まとめ
【虎に翼】久保田のモデル中田正子の、初めて弁護士になった女性の実話を徹底解説します。
- 【虎に翼】久保田のモデルは、中田正子さんです。
- 三淵嘉子さん、久米愛さんより先に論述試験に合格しながら口述試験に落ち、翌年一緒に合格したという経緯から、中田正子さんが久保田のモデルだと思われます。
- 中田正子さんは軍人の家に生まれましたが、勉強家の父の影響で勉強が好きになりました。
- 学問的な興味から弁護士を目指したと言いますが、鳥取県で、弱い立場の女性の力になりたいと、生涯弁護士であり続けました。
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