【虎に翼】戦病死しという悲しい別れに心を無くしていましたが、優三の言葉を思い出し、寅子は前を向くことができたようです。
優三の年齢は何歳なの?寅子といくつ違うの?そんな疑問を持っている人も多いと思います。
優三の年齢、寅子とは何歳差での結婚だったのか調べました。
寅子と優三の誕生日が明かされていませんが、その年の誕生日を過ぎた年齢に統一しています。
この記事で分かること
- 【虎に翼】優三の年齢は何歳?
- 【虎に翼】優三と寅子は何歳差で結婚したの?
- 優三はいつから寅子を好きだった?
- あの時寅子と優三は何歳だった?
- 【虎に翼】モデルの三淵嘉子さんと夫は?
これらをみていきましょう。
目次
【虎に翼】優三の年齢は何歳?
寅子の夫、優三は1946年に亡くなっていますが、38歳でした。
1944年36歳で出征し、1946年5月に収容所の病室で亡くなった、戦病死でした。
病気が何かは、明かされていません。
病状が悪化した隣のベッドの人に、これはご利益があるからと、寅子の作ったお守りを握らせ、その人は回復したのに、自分が悪化して亡くなってしまったのです。
やさしさの塊のような、優三らしいともいえる最後でした。
優三の戦死について詳しくはこちら↓↓
【虎に翼】優三と寅子は何歳差で結婚したの?
寅子と優三が結婚したのは、1941年寅子27歳で優三は33歳の、6歳差での結婚でした。
社会的信用を得るために結婚したいから、両親に、誰でもいいからお見合い相手を探してほしいというのを聞いて、優三が申し出たのでした。
社会的地位が欲しいこととともに、ちょっといい感じだった大学の同級生花岡に再会した時に、婚約者を紹介されたことも理由の一つでした。
東京と佐賀で離れていても、手紙を書くでもない様子だったので、寅子の気持ちはそれほど強くないと思うのですが、急に婚約者を紹介されたらショックですよね。
優三はいつから寅子を好きだった?
寅子と同じように社会的地位のための結婚だと言ったのに、本当はずっと寅子のことが好きだったと、結婚の日に本音を言いました。
いつからとは、はっきり言えないけど、最初からだったような気がするといいます。
優三が猪爪家に書生としてきたのは、寅子の弟の直明が生まれて少したってからということなので、優三が18歳あたりということになります。
優三が戦病死した1946年に直明は20歳ということなので、20年前だと18歳です。
優三18歳だと寅子は12歳になってしまうので、さすがに、18歳が12歳を好きということはないと思うので、思い返すとそんな気がするだけで、本当は、意識するようになったのはもう少し後、寅子が女学生になったあたりではないでしょうか。
大人びてきた寅子が気になりだしたのだと思います。
結婚してから恋に落ちた寅子でしたが、一番近くで何でも話せる人で、引っ越した後はとても寂しそうで、自分で気づいていないだけで好きなんだろうと、お茶の間のファンはみんなそう思っていました。
寅子と優三の結婚について、詳しくはこちらです。↓↓
あの時寅子と優三は何歳?
優三さんは家族ですと花岡にも宣言した寅子、2人に起こったいろいろな事件、あの時は何歳だったかみてみましょう。
ドラマのスタートは、1931年、17歳と23歳で、優三が明律大学の夜学に通っていたことで、寅子は法に触れ、学ぶようになります。
寅子が18歳で女子部に入学した時には、優三は24歳です。
共亜事件で父の直言が逮捕されたのが1935年、寅子が明律大法学部に入学した年で、寅子は21歳で優三が27歳、優三は高等試験合格のためもう一度夜学に入りなおしていました。
家宅捜索のために、土足で上がろうとする検察官たちに、一瞬ひるみながらも「靴だけはお脱ぎいただきたい」と言ったところが頼りななる感じで良かったですよね。
高等試験に合格した寅子が修習期間に入り、あきらめた優三が猪爪家を出たのが1939年、寅子25歳で優三は31歳でした。
寅子と優三が結婚したのは1941年で、寅子27歳優三33歳でした。
寅子が出産して2人が親になったのは、1943年12月、29歳と35歳の時でした。
優三が出征したのが1944年、36歳で、寅子は30歳でした。
1945年8月15日終戦の時は、寅子31歳で優三37歳です。
戦争が終わっても、外地にいた人々はすぐには帰れません。
1946年5月、38歳で優三が戦病死した通知を父直言が隠していましたが、寅子は32歳でした。
【虎に翼】モデルの三淵嘉子さんと夫は?
三淵嘉子さんは、28歳の時に、実家の書生だった和田芳夫さんと結婚しましたが、年齢についての情報はありませんでした。
ドラマでは優三がずっと寅子を好きだったのですが、実話では、誰かいいと思っている人はいないかという父の言葉に、三淵嘉子さんが和田芳夫さんの名前を言ったのだそうです。
三淵嘉子さんの周りで、いちばんやさしくていい人だったと言われています。
和田芳夫さんは、肋膜炎を患ったことがあって、体が弱くて徴兵を免れていましたが、戦況が悪化した頃についに出征し、優三と同じく戦病死しています。
戦地に行ってすぐに発病し、病院船で戻りましたが、長崎の陸軍病院で亡くなりました。
三淵嘉子さんや家族に会うことはかないませんでした。
実話も、ドラマと同じく、短い結婚生活でした。
優三のモデル、和田芳夫さんについて、詳しくはこちらです。↓↓
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まとめ
【虎の翼】優三の年齢は戦死した時は38歳で、寅子とは6歳差での結婚です!
- 【虎に翼】優三の年齢は戦病死した時に38歳でした。
- 【虎に翼】寅子27歳、優三33歳、6歳差で結婚しています。
- 優三はいつから寅子を好きだったのか聞かれ、最初からかなと答えていますが、優三が書生として猪爪家に来たときは優三18歳寅子12歳なので、もう少し時間が経ってからだと思います。
- ドラマのはじまりは、17歳と23歳、共亜事件で父が逮捕された時21歳と27歳、寅子が合格し弁護士の修習を始めて優三が猪爪家を出たのは25歳と31歳、2人が結婚したのが27歳と33歳、子どもが生まれたのが29歳と35歳です。
- 優三の出征が30歳と36歳、戦病死が32歳と38歳でした。
- 【虎に翼】モデルの三淵嘉子さんの夫の年齢は情報がありませんでしたが、三淵嘉子さんの夫も実家の元書生で、戦病死しています。
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