この記事には、この先のネタバレがあります。
虎に翼で花岡悟が餓死するという衝撃的な展開になります。
なぜ花岡悟は餓死したのか、その理由が法律に関わるものだったのかを詳しく調べました。
この記事で分かること
- 花岡悟はなぜ死んだのか?
- 花岡悟が餓死した経緯
- 寅子との再会は?
- 花岡悟が餓死した原因となった法律は?
- 花岡悟の餓死の影響
- 花岡悟の妻はどうなった?
- 花岡悟のモデル山口良忠さんとの違い
このことについて徹底解説します。
目次
花岡悟はなぜ死んだのか?
1947年秋、食糧管理法担当判事の花岡悟が餓死したというニュースは、寅子たち法曹に携わる人達だけなく、一般の人達にも大きな衝撃を与えました。
花岡悟が餓死した経緯
食糧管理法の事件を担当していた花岡悟は、闇で扱われている食料を一切食べることなく、配給の食料だけ食べて栄養失調で倒れ、そのまま亡くなってしまったのでした。
配給された食料も、多くは子ども達に食べさせていました。
食糧管理法を扱ってる裁判官本人が、違反していてはいけないと思っていたのでしょう。
そのニュースは、新聞でも取り上げられ、一般の多くの人達がショックを受けていました。
寅子との再会は?
寅子は、花岡が亡くなる少し前に、偶然日比谷公園で花岡と再会して話したことで、本来の自分を取り戻せたような気がして、もう一度会ってお礼を言いたいと思っていた矢先の悲劇でした。
再会した花岡は、寅子が渡そうとした板チョコ半分を、なりたい自分に反するからと、受け取ろうとしませんでいたが、子ども達にと言うと持って帰ってくれました。
少しやつれて見えたものの、まさか、餓死するほどだとは思わなかったのです。
みんなに変わってしまったと言われる寅子に、変わっていないと、前も今も全部自分で、どうなりたいかは自分で選ぶしかないと、梅子の受け売りだけどと言いつつ、言ってくれました。
それから、寅子は自分の意見も言うことができて、自分を取り戻すことができたような気持ちなったのです。
何か力になれることがあったのではないかと悔やみながら、何が正しいことなのか、花岡が守ろうとしたものは守っていくと誓う寅子でした。
花岡悟が餓死した原因となった法律は?
食糧管理法は、戦時下に食糧供給の安定を目的に1942年に制定された法律です。
食糧管理法により、米や麦、いも、めん等多くの食料品は国が管理することとなり、各家庭に人数により配給されることになりました。
その後、食料品以外の衣料品も配給制となり、とても足りなかったといいます。
【虎に翼】で寅子の母はると花江が繕い物の仕事を請け負っているのも、そのせいなのでしょう。
国が農作物を買い上げて配給していましたが、配給される量ではとても足りず、闇市で調達して補うのが一般的でした。
闇市は、まさに闇で、国に出さなかった食品を高く売っていたのです。
【虎に翼】の猪爪家でも、着物を売って食品を買っているシーンがありましたね。
花岡はこの食糧管理法違反、闇米を所持していた被告の担当で、闇米を取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないのではないか、という思いから闇米を食べなくなりました。
花岡悟のなりたい自分は、正しい、まっすぐな人だったのでしょう。
しかし、そもそも配給では足りないのに、闇米を取り締まることはいいのか、というような議論も持ち上がったといいます。
この法律がなければ、花岡悟は死ぬことはなかったのでしょうか。
いや、食糧難がひどくなって、日本中に餓死者が続出したかもしれません。
自由にしたら、価格が高騰して、手に入れられない人もいるから、難しい問題ですね。
花岡悟の餓死の影響
食糧管理法担当判事が、法を守って、餓死したというニュースは日本中に広まりました。
親戚の農家から譲り受けたと卵ををかごにたくさん持ってきて、「判事のみなさんで‥」という人など、多くの差し入れが届き、美談として語られていきました。
司法の仲間たちの思いは複雑でした。
求められているものが何なのか、みんな考えていました。
花岡悟の妻はどうなった?
奈津子花岡悟が亡くなって1年経った頃、花岡悟の妻奈津子が寅子に会いに来ました。
花岡が亡くなった後は、子ども達と故郷の佐賀に戻っていたといます。
最後に花岡と会った時に渡したチョコレートで、家族が久しぶりに笑顔になったことのお礼が言いたかったのでした。
寅子に感謝して、子ども達には寅子のように優しく強く育ってほしいと言ったいたという花岡は、寅子のことは妻にどう話していたのでしょう。
すごい同級生がいて、女性だけど強くて優しい人だったと言い、好きだったことは話していないですよね。
花岡の妻は絵を描いていて、個展まで開いていたといいます。
花岡の妻が描いた、チョコレートを分けている大人の手と受け取っている子どもの手が描かれた絵が、新しくできた家庭裁判所の壁に飾られました。
温かな絵で、寅子が渡したチョコレートを分ける花岡と子ども達の手なのでしょうか。
裁判所の有志達は、花岡に対する思いから、妻の絵を買っていたのでした。
花岡悟のモデル山口良忠さんとの違い
花岡のモデルと言われるのが山口良忠さんですが、判事になってから餓死したという部分ではモデルだと思われますが、学生時代のエピソードについてはオリジナルストーリーです。
出身地が佐賀県なのは同じですが、父は教師、京都帝大出身など山口良忠さんと花岡悟の学生時代は違っています。
寅子のモデル、三淵嘉子さんとの面識もなかったと思われます。
判事になってからはモデルとしていたのは確かだと思われ、山口良忠さんの妻も、絵を描いていました。
花岡悟のモデルが山口良忠さんだということについて、詳しくはこちらです。↓↓
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まとめ
【虎に翼】花岡悟が餓死した理由は法律が原因なのか、なぜ死んだのか徹底解説しました。
- 花岡悟は、闇で手に入れたものは食べず、配給のものだけを食べて、餓死しました。
- 寅子との偶然再会し、寅子に勇気を与えた後のことで、寅子はショックを受けました。
- 食糧管理法により、食料は配給となりましたが、実際生きて行くのに十分な量ではありませんでした。
- 花岡悟の餓死は、一般の人にも衝撃を与えました。
- 花岡悟の妻は、寅子からもらったチョコレートで、家族に笑顔が戻ったとお礼を言いにきました。
- 花岡悟のモデル山口良忠さんは、判事になってからで、学生時代はオリジナルストーリーです。
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