朝ドラ【虎に翼】のヒロインのモデルになった日本初の女性弁護士三淵嘉子さん、子供は5人いたというのが驚きです。
仕事と家庭を両立させていたパワフルな女性のようです。
実の子どもである和田芳武さんは生物学者です。
三淵嘉子さんの子供について、子孫は誰なのか調査しました。
この記事で分かること
- 三淵嘉子の子供は5人
- 実の一人息子は生物学者
- 再婚した夫の連れ子4人
- 三淵嘉子の子孫は誰?
これらについてみていきましょう。
目次
三淵嘉子の子供は5人
三淵嘉子さんの子供は、実の子供1人と夫の連れ子4人の合わせて5人です。
1941年に、父の書生だった和田芳夫さんと結婚し、男の子が1人生まれました。
夫は戦病死し、1人で子供を育てていました。
1956年、初代最高裁判所長官の三淵忠彦さんの長男で最高裁調査官だった三淵乾太郎さんと再婚しました。
三淵乾太郎さんには、病気で亡くなった前妻との間に生まれた1男3女がいましたので、三淵嘉子さんは、5人の母親になったのです。
三淵嘉子の一人息子は生物学者
前夫との間の息子は、1943年1月に生まれた芳武さんで、生物学者として活躍しましたが、2020年後に亡くなっています。
三淵嘉子さんが夫を亡くしたのは、息子が3歳の時で、その後は1人で育ててきました。
子供和田芳武の父、三淵嘉子の最初の夫は?
三淵嘉子さんの最初の夫は、和田芳夫さんで、朝ドラ【虎に翼】の仲野太賀さん演じる佐田優三さんのモデルになっていると思われます。
三淵嘉子さんの実家で書生として共に暮らしていて、三淵嘉子さんが密かに思っていたようです。
父に誰か思っている人はいないかと尋ねられて答えたことから、父が2人を後押しして、交際が始まったようです。
三淵嘉子さんが「なかなかプロポーズしてくれない」と友人に話していてというエピソードもあるので、戦前のような型にはまったお見合い結婚ではなかったのですね。
夫の和田芳夫さんは、もともと体が弱く、最初の徴兵検査には通らなかったのですが、終戦直前に徴兵されました。
戦地で肋膜炎が再発し入院、戦地に出ることなく終戦になりました。
日本に帰る船の中で悪化し、長崎の病院で亡くなりました。
福島県会津に疎開していた三淵嘉子さんに連絡は届かず、夫に会うことはかないませんでした。
子供和田芳武との会津での疎開生活
三淵(当時和田)嘉子さんと息子の和田芳武さん、一番上の弟の奥さんと子供の4人で福島県会津坂下町に疎開していました。
電気のない農家の納屋で、ランプの灯で、床にむしろを敷いて、ノミやシラミに悩まされながら寝起きしていたといいます。
日本初の女性弁護士としてさっそうとしていたのに、もんぺ姿にぼさぼさの髪で、なれない畑仕事をしていた姿をむごいと感じたと、一番下の弟の武藤泰夫さんが話していました。
和田芳武は生物学者へ
三淵嘉子さんが三淵乾太郎さんは、1956年8月に再婚しました。
13歳とすでにいろいろなことがわかる年齢で、三淵乾太郎さんの連れ子に男の子がいることから、芳武さんは三淵の籍に入らず父の戸籍に残った可能性もありますね。
中高校生の頃は、両親と苗字が違うのを避けて、三淵姓を名乗っていたかもしれません。
「三淵嘉子と家庭裁判所」という本で、インタビューに答えた際には和田芳武と記載されています。
和田芳武さんは、母の人生は「戦い続けた人生」だったと話しています。
日本初の女性判事や日本初の女性裁判所長となった時にも、道を切り開いていく様子をずっとそばで見ていたから、分かるのですね。
生物学者として活躍したという話があり、寄生虫学論文等に和田芳武という名前があり、年代的にもあっているように感じます。
芳武さんは清水聡さんという方の著書「女性法曹のあけぼの」の取材に協力していましたが、本が出版された2018年の数年後に亡くなったそうです。
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連れ子4人
三淵乾太郎さんには、3人の娘と1人の息子がいました。
すでに裁判官と結婚していた長女の那珂さん、21歳の二女奈都さん、18歳の三女麻都さん、14歳の長男力さんです。
父の三淵乾太郎さんが三淵嘉子さんにべったりで、それが長女の那珂さんにはおもしろくなかったようで、2人はぶつかることもあったといいます。
前妻の死から1年での再婚ということなので、娘としてはちょっとおもしろくないかもしれないですね。
電話で言い争いになって、三淵嘉子さんが筋の通らない話をし始め、それを芳武さんが止めたという話があります。
連れ子達は、三淵嘉子さんのことを「猛女」と言っていて、家では安心して自分の思うことをそのまま口にしていたのでしょう。
自分をさらけ出せるということは、それだけ打ち解けていたということなのだと思います。
4人の子供たちが何をしていたか等の情報はありませんでした。
長女の那珂さん亡はくなられているらしいとのことです。
再婚のきっかけは義父三淵忠彦
三淵嘉子さんと夫三淵乾太郎さんの出会いのきっかけは、三淵乾太郎さんの父で初代最高裁判所長官の三淵忠彦さんです。
三淵嘉子さんの恩師である友人から、三淵嘉子さんのことを聞いた三淵忠彦さんが会いたいと言い、その後は仕事を手伝うようになりました。
アメリカに行っていた間に亡くなった三淵忠彦の弔問に自宅を訪れた時に、三淵乾太郎さんと出会いました。
1年前に妻を病気で亡くしていた三淵乾太郎さんは、4人の子どもがいました。
お互いに気があったのか、短い交際期間での結婚となったようです。
直接会わせたわけではありませんが、父三淵忠彦さんが結んだ縁ですね。
三淵嘉子の子孫は誰?
三淵嘉子さんの子孫について、情報はありません。
息子の芳武さんには、子供はもちろん、結婚したという話も残っていません。
三淵乾太郎さんの4人の連れ子の子孫についても情報はありません。
家中舎(かちゅうしゃ)旧和田邸
香川県仲多度郡多度津町にある家中舎は、築190年の武家屋敷をリノベーションした、食事、宿泊、結婚式等ができる総合施設ですが、旧和田邸だったということで、三淵嘉子さんの最初の夫和田芳夫さんと関係があるのではないかと言われています。
詳しい資料がないので知っている方に教えて欲しいと、ホームページに掲載しています。
三淵嘉子さんと血につながりがあるわけではないですが、息子和田芳武さんとは血縁関係のある方の子孫の情報が、これからわかるかもしれないですね。
夫三淵乾太郎と過ごした甘柑荘
三淵家の別荘で、単身赴任の多かった三淵乾太郎さんと三淵嘉子さん夫妻が落ち合って、仲良く過ごしたという甘柑荘は、三淵家の子孫が管理しているという話です。
血のつながりはありませんが、三淵力さん(存命であれば82歳)やその子供が管理しているのかもしれません。
甘柑荘は、4月28日から一般公開することになりました。
甘柑荘一般公開概要
- 箱根登山鉄道箱根板橋駅から徒歩5分
- 金曜と日曜の午前11時~午後2時
- 入館には500円以上(中高生200円以上、小学生以下は無料)の寄付金が必要
【虎に翼】の放送が始まったら、ゆかりの方がお話して、新しい情報があるかもしれません。
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まとめ
三淵嘉子さんの子供は5人で、子孫は誰なのか調べました。
- 三淵嘉子さんの子供は、前夫との子供1人と再婚した夫の連れ子4人の、合わせて5人です。
- 実の子供の芳武さんは、生物学者になったと思われますが、結婚したのか子供がいるかなどの情報はありません。
- 夫の連れ子4人についても、詳しい情報は分かりませんでした。
- 三淵嘉子さんの子孫については、いない可能性が高いです。
- 三淵家の別荘、甘柑荘は、三淵家の子孫が管理しているということで、三淵力さんかその子供かもしれません。
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