この記事は、今後のネタバレを含みます。
【虎に翼】実在の人物がモデルとなっているらしいキャストがたくさん登場していますが、どんどん魅力的になっていく山田よねにもモデルがいるのか気になります。
三淵嘉子さんとともに、日本初の女性弁護士になった久米愛さんではないかという声がきかれます。
松竹歌劇団の水の江滝子さんのようだと寅子も言っているように、男装している理由も気になりますね。
山田よねのモデルはいるのか、男装の理由等、調べました。
この記事で分かること
- 山田よねのモデルは久米愛?
- 久米愛の経歴は?
- 久米愛の旦那は誰?
- 山田よねと久米愛の違いは?
- 山田よねの男装は水の江滝子がモデル?
- 山田よねはなぜ男装してる?
- 水の江滝子の経歴は?
- 水の江滝子は結婚してた?
- 山田よねは虎に翼で結婚する?
これらのことについてみていきましょう。
目次
山田よねのモデルは久米愛?
山田よねのモデルは久米愛さんではないかという声があります。
久米愛さんについて、スラックスでつかつかと歩いていた、という話が残っていて、その印象が近いのかもしれません。
番組プロデューサーが、当時の女子部は年齢も境遇も様々な人がいたけど、男装の学生がいたという記録は残っていないと話しています。
様々なキャラクターを作っていく中、脚本家の吉田恵里香さんの案で、男装する女性がいてもいいのではないかと生まれたといいます。
山田よねはオリジナルな部分が多いと言えるでしょう。
久米愛の経歴は?
- 名前:久米愛(旧姓保原)
- 生年月日:1911年(明治44年)7月7日
- 出身地:大阪府
- 出身校:津田英学塾(現津田塾大学)/明治大学専門部女子部/明治大学法学部
- 1938年高等文官試験司法科試験合格
- 1946年明治大学短期大学(前身は明治大学女子部)教授就任(1966年まで)
- 1950年日本婦人法律家協会(現・日本女性法律家協会)設立。25年間会長を務めた。
- 1976年すい臓がんにより65歳で死去
父は大阪の電力会社社長という恵まれた環境でした。
津田塾で英語を学んでいたこともあって、戦後は通訳の仕事もしています。
昭和25年には、「婦人使節団」の一人として渡米しました。
市川房枝らとともに女性解放運動運動の先駆者的な役割を務めました。
昭和51年、日本で初めて最高裁判所判事の女性候補にもなりましたが実現はしませんでした。
久米愛の旦那は?
久米愛の旦那は、久米知孝さんで、東京大学の学生だった頃、明治大学在学中に出会っています。
ドラマでも登場したようなハイキングで出会い、在学中に婚約しています。
結婚後に高等試験に合格した時には夫は出征中で、ドラマでは中山千春のエピソードとして描かれています。
久米知孝さんについて、法学部の学生だったというのは間違いがいないようですが、技師だったという話もあり職業についてははっきり特定できませんでした。
轟のモデルなのではないかという声がありますが、弁護士だったという記録はないので、違うと思われます。
山田よねと久米愛の違いは?
久米愛さんは三淵嘉子さんと同じく、日本初の女性弁護士の1人になっていますが、ドラマ13週まで、山田よねさんは高等試験に合格できていません。
一番大きな違いは、久米愛さんが大阪の電力会社の社長の娘という恵まれた境遇であるのに対して、山田よねは地方の貧しい農家出身というところです。
ヒロイン寅子の同級生達、法律を学ぼうとする人達には、恵まれた環境の人が多かったのです。
しかし、この時代、昭和恐慌により価格破壊を起こし農村は大打撃を受け、凶作も加わり、娘の身売りも横行していました。
ドラマの時代は1933年(昭和8年)、まだ経済が回復していない時期、山田よねを描くことで、格差を現していると思います。
山田よねの男装は水の江滝子がモデル?
山田よねの男装については、当時松竹楽劇団で男装麗人として大人気だった、水の江滝子さんを参考に、真似ているのかもしれません。
ドラマ6話では、山田よねと初対面の寅子が、「素敵、水の江滝子みたい」と言っています。
水の江滝子さんの存在が無かったら、もっと、奇妙に思われてしまったのかもしれません。
山田よねはなぜ男装してる?
自分が女であることを捨てたいからです。
貧しい農家の5人兄弟の二女だったよねですが、父親は飲んだくれて、妻や子の暴力をふるうような人で、姉は15歳で女郎として売られます。
よねは髪を切って女をやめると、せいいっぱい働くと言ったが、15歳前に売られそうになり、姉を頼って東京へ逃げます。
姉からカフェ燈台を紹介されますが、女給になることは拒否して、ボーイとして働きます。
それが米の男装のはじまりです。
姉が店に騙されていたことを知ったよねは、その金を取り戻すため、弁護士に依頼して取り戻しますが、その代償として耐えがたいことを耐えたのでした。
その代償は、ドラマでもはっきりと言葉では伝えなかったこと、ドラマで察してください。
金は取り戻したものの、置屋を追い出された姉は、仕事もなく、すぐに男と逃げてしまいました。
そんな時、たまたま目にした女子部の法科設立の記事、必死に勉強し、姉が置いて行った、姉のために取り戻した金で、女子部に入学したのでした。
舐め腐った腐ったやつらを叩きのめすことができる力が欲しいというのが、山田よねが男装して女子部に入学、弁護士になりたいと思った理由です。
水の江滝子の経歴は?
- 生年月日:1915年(大正4年)2月20日
- 出身地:北海道小樽区(現小樽市)
- 1928年東京松竹楽劇部に第1期生として入団
- 1930年~1940年ターキーのニックネームで代初の断髪男役として国民的人気
- 1942年退団
- 1955年日本初の女性映画プロデューサー
- 1984年芸能界引退
- 1993年生前葬を行った
- 2009年死去
水の江滝子さんが所属していた松竹楽劇団は、朝ドラ「ブギウギ」の舞台となっっています。
映画プロデューサーとして、石原裕次郎さんを見出しています。
甥にあたる三浦和義のいわゆるロス疑惑事件による誹謗中傷を受けて、1984年、芸能界を引退しました。
水の江滝子は結婚してた?
水の江滝子さんは、ずっと独身でしたが、生涯2人の恋人がいたと言われています。
戦前、アメリカ滞在中に出会った日系人男性と結婚直前、日米開戦で男性にスパイ容疑がかかり破談となりました。
戦後、妻子のある男性と同棲していましたが、水の江滝子さんは妻子とも交流があり、男性の葬儀は2人並んで挨拶していたといいます。
その後も交流が続いたということです。
山田よねは虎に翼で結婚する?
13週(6月末)現在、山田よねは結婚していません。
寅子の結婚に、「結婚自体くだらないと思う」と思うと発言した山田よねですから、この先も結婚する気持ちはないかもしれません。
しかし、花岡に対しての対応を見ていると、人の心はしっかり感じとることができるので、可能性はあるかもしれないと思います。
この先のネタバレになりますが、山田よねは、試験には合格しないものの、戦争から無事戻った轟の事務所で働きます。
弁護活動の他に、2人は戦災孤児のために尽力しています。
出会いからぶつかっていた2人がともに戦っています。
根はやさしい2人、実は似ているのかもしれません。
この先、山田よねと轟が結婚する未来もああるかなとちょっと思います。
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まとめ
【虎に翼】山田よねのモデルは久米愛か、男装は水の江滝子を真似たのか、調べました。
- スラックスでつかつかと歩いていたという久米愛さんの話が、山田よねのモデルだと言われる理由です。
- 久米愛は大阪の電力会社の社長の娘で、津田塾から女子部に入り、三淵嘉子さんとともに日本初の女性弁護士の1人になりました。
- 久米愛の旦那は久米和孝さんといい、高等試験合格時に出征していたエピソードは、虎に翼の中山千春です。
- 山田よねと久米愛の違いは、高等試験に合格しているかと、裕福な家庭に生まれた久米愛さんと、貧しい農家出身の山田よね、というところです。
- 山田よねの男装は当時大人気だった、水の江滝子がモデルになっているかもしれません。
- 山田よねは、女性を捨ててバーテンとして働き、舐め腐った腐ったやつらを叩きのめすことができる力を得るために男装しています。
- 水の江滝子は、松竹楽劇団の男役スターとして大人気で、その後映画プロデューサーやタレントとして活躍しました。
- 水の江滝子は結婚はしていませんが、生涯2人の恋人がいたと言われています。
- 山田よねは13週(6月末)まで結婚していませんし、結婚自体くだらないと言っていますが、花岡と寅子の気持ちを察することができるので、もしかしたら結婚もあるかもしれません。
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